八木寿仁葉(じゅには)なぜ京都舞妓に?出身校やプロフは?お店の場所はどこ?/ノンフィクション

その他

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています




15歳の春に、憧れの舞妓の世界に飛び込んだ八木寿仁葉さんが、2022年7月10日放送の『ザ・ノンフィクション』に出演されます。

順調だった修行生活に、突如訪れた大きな試練とは…?

今回はそんな八木寿仁葉さんにスポットを当ててみたいと思いますよ。

八木寿仁葉さんの出身校やプロフィール、なぜ京都舞妓になったのか、そしてお店の情報までお伝えしていきます!

八木寿仁葉の出身校やプロフは?

参照:https://photohito.com

  • 芸名:勝貴(かつき)
  • 本名:八木寿仁葉(やぎ じゅには)
  • 年齢:20歳(2022年7月現在)
  • 出身地:長崎県南島原市
  • 出身校:南島原市立口之津中学校
  • 身長:不明
  • 体重:不明
  • 血液型:不明
  • 置屋:大文字(上七軒)

勝貴さんこと八木寿仁葉さんは、長崎県南島原市出身です。

小学生の時から舞妓になりたいと強く思うようになった八木寿仁葉さんは、中学卒業後に高校進学することなく、京都の花街に飛び込みました。

ここで簡単に京都の舞妓さんや芸妓さん、花街のことをご紹介しましょう♪

参照:http://arukumachikyoto.jp

  • 舞妓(まいこ)…芸妓の見習い。置屋に入って数年間修業して、20歳頃に芸妓になる
  • 芸妓(げいこ)…舞踊や三味線などの鳴り物で宴席を盛り上げ、客をもてなす。芸者とも。

そして京都には、その舞妓さんや芸妓さんが住む世界があります。

参照:https://www.ookinizaidan.com

  • 花街(かがい/はなまち)…お茶屋や置屋が集まっている場所
  • お茶屋(おちゃや)…芸妓さんをお座敷に呼んで、客に飲食をさせる店
  • 置屋(おきや)…舞妓さんや芸妓さんの、いわば所属派遣事務所
  • 仕出し屋(しだしや)…お茶屋に食事を提供する店

京都には現在、上七軒、宮川町、先斗町、祇園東、祇園甲部の5つの花街(五花街)が存在し、八木寿仁葉さんは、上七軒にあるお茶屋兼置屋の大文字さんに所属しています。

舞妓さんは芸妓さんの見習いと言いましたが、舞妓さんの中にも段階というものがあります。

まず、置屋に入って約1年間は「仕込みさん」と呼ばれます。

先輩のお姉さん芸妓舞妓もいる置屋に住み込み、置屋のお母さん、お姉さんの手伝い、掃除、舞踊の稽古。その間にもお母さんやお姉さんから京の花街言葉、挨拶やしきたりなど花街の行儀作法を徹底的に教え込まれます。朝はお姉さん芸妓舞妓より早く起き、夜はお座敷が終わるまで待ち、衣裳の後片付けなどの手伝いもしなければならず寝るのは深夜になることもしばしば。

引用元:https://www.ookinizaidan.com

特に長崎出身の八木寿仁葉さんにとって、京の花街言葉の習得はかなり苦労されたのではないでしょうか?

普通の京都弁ともかなり違いますからね~。

この期間を過ごし、置屋のお母さんに認められれば、1か月程度「見習いさん」となります。

姉妹の盃を交わしたお姉さん芸妓について、割れしのぶに髪を結い、半だらの帯にちょっと低めのおこぼ(桐のこっぽり下駄(げた))をはいてお座敷へ行き、現場で仕事を覚えていきます。

引用元:https://www.ookinizaidan.com

この時、姉妹の盃を交わしたお姉さんの芸名から1字をもらって、舞妓としての名前をつけてもらうこととなります。

八木寿仁葉さんの芸名の「勝貴」というのはお姉さんの勝音さんから「勝」の文字をいただいたのですね♪

下の画像は、勝貴さんとお姉さんの勝音さんです。

参照:https://www.facebook.com

この姉妹の絆は花街ではとても大切なもので、姉は芸妓生涯にわたり、妹の世話や教育をし、相談にも乗りますし、妹はその姉に恥をかかせないよう、日々努力していくのです。

そして見習い期間が終了すると、いよいよ「お見世(お店)出し」といって舞妓デビューをします。

ここからがいよいよ本格的に芸妓になるための修業の日々が始まるのです。

舞踊に加えて三味線、囃子(はやし)(笛・太鼓・小鼓(こつづみ)、に唄(長唄・常磐津(ときわず)・清元(きよもと)・小唄)、さらに茶道も加わり、芸とおもてなしのプロを目指します。

引用元:https://www.ookinizaidan.com

舞妓となって数年間、修業の日々を送り、20歳になるときにこのまま芸妓としての人生を選ぶか、花街を離れるかの選択をします。

芸妓は、大きく分けて「立方(たちかた)」といって舞踊を主にする芸妓と、「地方(じかた)」といって唄や語り、三味線や鳴り物を受け持つ芸妓に分かれ、通常は立方を卒業した者が地方に回ることが多いようです。

八木寿仁葉さんは、2017年10月に舞妓「勝貴」として「お見世出し」となり、2022年5月に芸妓となられました。

上の画像は、その芸妓となる「襟替え」という儀式の時です。

舞妓さん時代は、紅い襟に白い糸で刺しゅうを施した襟を着けているのですが、芸妓となると襟は真っ白なものになるので、襟替えというのだとか。

髪型もお着物も変わるので、途端に大人っぽくなられましたね~♪

今後は芸妓さんとして、お客様をおもてなししながら、京都花街の伝統を守っていかれるのでしょう。

スポンサーリンク

 

八木寿仁葉はなぜ京都舞妓に?

 

この投稿をInstagramで見る

 

joe(@photo_ynerukichirobi)がシェアした投稿

小学4年生の時に、映画『舞妓Haaaan!!!』(2007年)を見て「世界にこんな素敵な職業があるなんて!」と衝撃を受けたという八木寿仁葉さんは、将来舞妓になる決意を固めます。

 

この投稿をInstagramで見る

 

yamato(@daily_movie555)がシェアした投稿

それから、お母さんに頼み込んで京都まで舞妓さんの見学に連れて行ってもらったり、お茶や生け花の習い事も始め、中学1年生からは陸上部に入りながらも、日舞のおけいこも始めたそうです。

ご両親からすれば、まだまだ幼い娘が親元を離れ、大変な世界であるとされる舞妓・芸妓の世界に入るのは、心配でたまらなかったでしょうが、八木寿仁葉さんの決意は固く、ご両親の許しを得て、中学卒業後に京都の上七軒にあるお茶や兼置屋の「大文字」さんに入ることなりました。

 

この投稿をInstagramで見る

 

walkkyoto(@walkkyoto)がシェアした投稿


勝音お姉さんに支えられながら、頑張って修行されてきた勝貴さん。

愛らしく可憐なその舞妓姿は多くのファンを獲得しています。


しかし、突如世界を襲ったコロナ禍は、京の花街にも深い闇をもたらしました。

感染拡大のためにお座敷が無くなり、「未来が見えない」と辞める芸妓が何人も出て、舞妓もお店出しを見合わせることになってしまったりしたのです。

もともと、舞妓さんの期間はわずかなお小遣いだけで収入はなく、衣食住のすべてを置屋が面倒見ます。

また、芸妓になれば個人事業主になりますので、主な収入はお客さんからの「花代」なのです。

つまり、お客さんが来なければ収入が途絶えてしまうという、不安定な世界なのですね~。

それでも、幼いころからの夢を諦めずに、ひたすらに頑張ってきた八木寿仁葉さん。

舞妓・芸妓の数が減ってしまった花街ですが、彼女が新しい光となって、かつての華やかな花街を再び蘇らせてくれるでしょう。

スポンサーリンク

 

八木寿仁葉のお店の場所はどこ?

八木寿仁葉さんが所属している大文字さんをご紹介します。

調べたのですが、電話番号は公表されていないようでした。

  • 屋号:大文字
  • 住所:京都府京都市上京区真盛町(しんせいちょう)740-7
  • 電話番号:非公表

周辺には他のお茶屋さんや、上七軒芸妓組合、上七軒歌舞練場があり、舞妓さんや芸妓さんはこの歌舞練場で日々修業をなさっているのでしょう。

舞妓さんになりたいという方は、上七軒歌舞会のHP「舞妓さん募集」のページがありますので、まずはそこで申し込み、まずは舞妓さんの体験をされることをおススメします。

観光で舞妓さんの格好をするのとは違い、2泊3日で実際に舞妓さんのお仕事を体験することが出来るようで、体験後に「しっかり時間をかけて考えてから来るかどうか決めて」と言われるようですよ。

中卒で住み込みを始めるわけですから、人生の大きな転機となるのは間違いありません。

ご両親や保護者の方としっかりと話し合い、後悔の無い選択をしたいものです。

直接置屋さんを訪ねるのは、お店にご迷惑をおかけすることになりかねませんのでご注意くださいね!

 

この投稿をInstagramで見る

 

Yoco よーこ(@yoco405_)がシェアした投稿


お人形さんのように可憐な姿でありながら、芯に強い信念を持って、長く苦しい日々を乗り越え、芸妓として花開いた八木寿仁葉さん。

これからはさらに美しさに磨きをかけ、 京都の花街を彩ってくれることでしょう。

コメント