数々の映画やドラマ、舞台などで長年活躍している女優の渡辺美佐子さんが、2022年8月3日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演されます。
お母さん役などが印象的な渡辺美佐子さんですが、いったいどのような女優人生を送られてきたのでしょうか。
渡辺美佐子さんの経歴やプロフィール、引退理由、夫や子供、ご両親といったご家族に関しても調査してみましたよ。
渡辺美佐子の経歴やプロフィール!引退理由や画像は?
- 名前:渡辺美佐子(わたなべ みさこ)
- 本名:大山美佐子
- 生年月日:1932年10月23日
- 出身地:東京府東京市麻布区(現・東京都港区)
- 学歴:実践女子学園高等学校卒
- 身長:不明
- 体重:不明
- 血液型:AB型
- 趣味:ゴルフ、読書、麻雀
- 配偶者:大山勝美(-2014年)
- 所属事務所:岩淵ぐるうぷ
渡辺美佐子さんは、東京都出身の舞台を中心に活躍している女優です。
もともと小さい頃から女優を目指していたというわけではありませんが、きっかけはちょっとした偶然でした。
三鷹から井の頭線で渋谷の学校に通っていた時、電車の中で姉がファンだった俳優の信欣三さんを見つけ、学校サボって後をつけたら、六本木の俳優座に入って行ったんです。のぞいたら事務の人が「あなたもですか」って俳優座養成所の3期生募集の応募要項をくれたんです。それで受けてみて…。
このまま受かってしまい、俳優座の養成所に入所した渡辺美佐子さん。
ブレヒトの『家庭教師』で初舞台を踏み、1953年、21歳の時に映画『ひめゆりの塔』で映画デビューを果たしました。
この時、俳優座入所の切っ掛けとなった信欣三さんと共演したのですが、後をつけて俳優座に…という話を信さんにしましたが、作り話だと思われてしまったそうです(笑)
日活と契約をした渡辺美佐子さん。
1958年、映画『果てしなき欲望』でブルーリボン賞の助演女優賞を受賞しています。
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この画像の手前の女性が若き日の渡辺美佐子さんです。お美しいですね~♪
その後も映画や舞台、テレビドラマなどで活躍されました。
テレビドラマでは『渡る世間は鬼ばかり』など橋田寿賀子作品で多く起用されました。
数々の作品に出演されている渡辺美佐子さんですが、特に注目すべきは渡辺美佐子さんが特に力を入れている朗読劇などの反戦平和活動 です。
小学生の時に、自分でもそれが初恋かどうかすら分からない淡い想いを抱いた同級生の少年が、ある時急に転校してしまい、後に広島で原爆を受けて亡くなっていたことを知りました。
ご自身も戦争を体験し、同級生がその犠牲になっていたことで、戦争を身近なものと切実に思うようになり、反戦平和活動を熱心にされるようになったんだそうです。
プライベートでは1965年、32歳の時に当時TBSプロデューサーで『ふぞろいの林檎たち』などを手掛けた大山勝美さん(当時33歳)と結婚され、長男をもうけています。
そして今年、2022年6月の公演を最後に、舞台引退を決めていらっしゃいます。
「元気がしぼまないうちに」というのが理由のようですが、舞台以外の活動を続けられるそうなので、まだまだこれからもお元気な渡辺美佐子さんのお姿を拝見できそうですよ♪
渡辺美佐子の旦那や子供の現在は?
渡辺美佐子さんが1965年に結婚されたお相手は、元TBSプロデューサーの大山勝美(おおやま かつよし)さんです。ダンディーな方ですね!
とあるドラマの撮影で出会ったというお二人の結婚生活は、全力で仕事に取り組む生活で、渡辺美佐子さんは息子さんを生んでいらっしゃるものの、家事は一切やられたことがなかったそうです。
しかしそんな生活は、大山さんの病気により一変します。
大山勝美さんは1998年、優れた番組に贈られる「ギャラクシー賞」のテレビ部門個人賞を受賞した直後に胆管癌が発覚するのです。
手術をしましたが、余命三年と告知されました。それから…
家事はお手伝いさんに任せていたのですが、ちょうど夫が手術をした頃、彼女も病気でふるさとに帰ってしまいました。65歳で初めて家事をすることになりました。
彼女に電話で教わりながら、体に良さそうな鶏ガラのスープや野菜の五目煮を作りました。以前は、夫と私、長男は別々に夕食を取っていましたが、そろって私の料理を食べるようになりました。簡素なメニューばかりでしたが、初めて持つことができた平穏で幸せな時間でした。
この生活が大山勝美さんの心身に良い影響を与えたのか、余命3年を大きく超えて、15年も生きられたそうです。
しかし2014年、大山勝美さんはとうとう病魔に倒れました。
舞台初日は必ず観に来てくれていたという最愛の夫を亡くした渡辺美佐子さんは、どれほどの喪失感を味わったことでしょう。
しかし、夫の看病をする中で料理などを覚えていった経験のおかげで、夫を亡くした後も、同居している息子さんのために栄養バランスのとれた食事を作り、息子さんと食卓を囲むことが、ご自身の栄養管理にもつながり、今でもお元気で仕事が出来ているということです。
ちなみに、結婚の3年後に授かったという息子さんは、現在54歳前後。
ご両親とは違う仕事がしたいということで、理系の学校に進み、一般の会社に就職されたそうです。
渡辺美佐子の実家(父母)はどんな人?
<渡辺美佐子:89歳、舞台人生締めくくった心境は 息子の食事作りが自身の健康管理にも 「徹子の部屋」で明かす・・>
さすが女優!!
シンプルに艶がある….。 pic.twitter.com/8mi2XkPJGC
— 花子の館 (@ceMCIkFDtz8bjP3) August 2, 2022
渡辺美佐子さんのご実家やご両親については、あまり詳しい情報を見つけることはできませんでした。
しかし、現在の東京都港区に「2階建ての家」を持っていたということなので、決して貧しい家庭ではなかったのではないかと思われます。
ですが、渡辺美佐子さんが小学校3年戦の時に太平洋戦争が始まり、生活は一変。
おなかはいつもぺちゃんこで、歩くとふらふらして、よく生きてたと思います。1日の食事は煎った大豆一握り。普通は飼料にする「ふすま」という小麦の皮をおかゆにしたり、空襲で焼けた米をもらってきたり。米は、母がといでもといでも真っ黒な水が流れる。それでも炊いたけど炭を食べているのと同じ。あと父が庭に葉っぱを生やしてた。東京の花小金井とか武蔵野のお百姓さんのとこに母と2人で着物を持っていって、米か芋に換えてもらった。
長野県に疎開し、終戦を迎えてから東京に戻りますが、父親が守ってくれた実家の2階を米軍に接収されてしまいます。
米兵が日本人女性を2階に連れ込んできて、ステーキを焼いたりしている中、1階部分に家族7人が肩を寄せ合って煎り豆をかじっている…。
朝起きると、ゴミ箱に捨てられていた真っ白な食パンに、思わず手を伸ばしてしまう…。
そんな苦しく、人間としての尊厳を踏みにじられるような生活をされていたそうです。
その後、お父さんが家を手放す決断をし、三鷹の小さな家に引っ越し、そのような生活は終わりました。そして三鷹で渡辺美佐子さんは運命の出会いをし、女優の道へと進むこととなったのです。
ご両親の職業やお名前などは、調べても分かりませんでした。
しかし、苦しい戦中・戦後をお子さんを守り抜いた素晴らしいご両親だったと思われます。
68年間もの長きにわたって女優として歩み、舞台からは降りるものの、まだまだ歩みを止めない渡辺美佐子さんの生きざまは、多くの女性にパワーを与えてくれますね♪
これからのご活躍から目が離せません。
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