冨士眞奈美の病気の現在は?家や学歴がヤバい?若い頃の画像や結婚した夫や子供(娘リズ)の今は?

徹子の部屋

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日本人離れした美貌と、高らかな笑い声が印象的な女優の冨士眞奈美さん。

バラエティー番組などにも引っ張りだこでしたが、そういえば最近お見掛けしないような…?

実は最近、お仕事量をセーブしており、さらにこの春にはご病気をされていたとか!

そんなエピソードを2022年9月19日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)で冨士眞奈美さんご本人が語ってくださるようです。

今回はその冨士眞奈美さんを特集!

冨士眞奈美さんの経歴、若い頃の画像や、病気のこと、そしてご家族のことなどを調査してみましたよ。

 

冨士眞奈美の学歴やプロフィールは?

参照:http://www1.bbweb-arena.com

  • 名前:冨士眞奈美(ふじ まなみ)
  • 本名:岩崎真奈美(いわさき まなみ)
  • 生年月日:1938年1月15日
  • 年齢:85歳(2022年9月現在)
  • 出身地:静岡県
  • 学歴:県立三島北高校卒業
  • 身長:154cm
  • 体重:不明
  • 血液型:A型
  • 趣味:相撲・野球観戦(スポーツ全般)、イタリアオペラ鑑賞、俳句
  • 俳号:衾去(きんきょ)
  • 所属事務所:アンテーヌ

静岡県生まれの冨士眞奈美さん。

父親の家が大地主であったため、裕福な家庭で育ちました。

幼少期は新聞記者のお父さんの影響で、ラジオの選挙速報を聞いたり、本を読んだりするのが好きな文学少女でした。

一方でお転婆な面があり、男の子と一緒に野球をしたりすることの多い女の子だったそうです。

中学2年生の時に、音楽の授業でオペラを聞いた冨士眞奈美さんは、オペラに夢中になりました。

高校では音楽部に入り、自宅の裏でオペラの練習をし、文化祭でステージに立ったりしたそうです。

確かに、冨士眞奈美さんて今でもオペラ好きの雰囲気ありますよね♪

高校3年生で『アンネの日記』を読んで深く感銘を受けていたころ、「劇団民藝」でアンネの日記の主演を募集していることを知り応募。

オーディションを受けて最後の6人に残りましたが、残念ながら主演には選ばれませんでした。

高校を卒業後、俳優座付属養成所第7期生となり、1956年にNHKのドラマ『この瞳』の主役に大抜擢!

デビューを果たします。

1956年といえば、冨士眞奈美さん18歳の時ですよね。

高校卒業後に俳優座に入所して間もなくってことですから、その美貌とオペラで培われた演技力が一際際立ってたのでしょう。

ちなみに冨士眞奈美という芸名は、デビューの際にNHKの芸能部長が、冨士眞奈美さんの出身地が静岡県だったため「富士山」からとってつけてくれたそうです。

1957年にはNHK専属の第一号となり、馬渕晴子さん、小林千登勢さんと共に「NHK三人娘」と呼ばれ、当時は清純派女優として人気を博していました。

同時期に資生堂化粧品の専属モデルにも選ばれています。

参照:https://twitter.com

しかし、女優業は「学芸会の延長」のように感じていたという冨士眞奈美さん。

父のように記者になりたいと思い、実際に記者に転身しようと行動を起こしたりもしていました。

しかし、そんな矢先に父親が結核で他界。

家族を支える覚悟を決めた冨士眞奈美さんは、女優を続ける決意をします。

そんな時出会ったのが1970年のドラマ『細うで繁盛記』(日本テレビ)でした。

このドラマで意地悪な小姑の正子役を熱演した冨士眞奈美さんは、主人公をいじめる役柄であったにもかかわらず、視聴者から大きな人気を得て、彼女の当たり役となったのです。

1974年、脚本家の林秀彦氏と結婚。

一時期女優業は引退したものの、1984年に離婚し活動を再開しました。

その後も数多くの作品に出続けた冨士眞奈美さん。

親友の岸田今日子さん、吉行和子さんと一緒にトーク番組に出ると、その楽しい掛け合いが話題となり、3人でバラエティー番組に出られることも多くなりました。

現在は、年齢的なものもあって意図的に仕事量を減らしておられますが、2022年公開の『ばあばは、だいじょうぶ』では認知症の祖母役で出演し、その熱演ぶりが大きな話題になっています。

 

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普段テレビで拝見する冨士眞奈美さんは、とってもお洒落でばっちりメイク。

でもこの映画では、そういったものを全て排除し、すこしずつ変わっていくばあばを見事に演じられています。

私は予告編だけで号泣してしまいました(笑)

冨士眞奈美さんの女優魂を再発見できる作品ですよ~。

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冨士眞奈美の若い頃の画像や病気の現在は?

冨士眞奈美さんの若い頃をご紹介します!

 

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いや~、目鼻立ちがハッキリしていてとてもお美しいですね!

この頃は「清純派女優」といわれていたころでしょうか?

参照:https://ja.wikipedia.org

この和服の画像は、1960年頃ですので22歳でしょうか。大人の色気も感じられますね。

 

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本当におきれいですね~。

美人で資生堂の専属に選ばれるような華やかさも持ち合わせています。

参照:http://blog.livedoor.jp

先ほどもご紹介した『細うで繁盛記』では大きく路線変更。

静岡弁で「犬に食わせる飯はあっても、おみゃーに食わせる飯はにゃーだで!」と怒鳴るシーンはみんな真似してましたよ(笑)

これ以降も、美しいけどちょっと意地悪な役が多くなった気がしますね。

現在は仕事をセーブされていて、春には病気で倒れたとのことですが、何の病気だったかは今のところ公表されていません。

おそらく、9月19日放送の『徹子の部屋』で真相が語られるのではないでしょうか。

参照:https://www.tv-asahi.co.jp

それ以前も、特に大きな病気をされたことはないようなのですが、2019年に鎖骨を骨折し全治3か月に、2020年にも背骨を骨折してこちらも全治3か月になったとか!

どうも不注意で骨折されることが多く、そのたびにご家族が大変な目に合っているみたいです(笑)

お嬢様育ちで自由奔放な冨士眞奈美さんらしいですね~。

お吟さま
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冨士眞奈美と結婚した夫や子供(娘リズ)の今は?

冨士眞奈美さんは、1974年に脚本家の林秀彦さんと結婚されて、一女をもうけています。

こちらの画像の右側の男性が、結婚された林秀彦さんです。

俳優さん?と思うくらいカッコいいい!

林秀彦さんは、随筆家の林謙一を父に持ち、学習院高等科を卒業後にドイツやフランスの大学に留学し、哲学を学んでいます。

帰国後は松山善三に師事し、映画やテレビドラマの脚本家になりました。

冨士眞奈美さんとは1984年に離婚し、1988年から2005年までの間はオーストラリアに移住。

帰国後は大分県で暮らしていましたが、2010年、肺炎のためにお亡くなりになっています。

代表作は、『七人の刑事』(TBS)、『鳩子の海』(NHK)、『生きるための情熱としての殺人』(テレビ朝日)などがあります。

冨士眞奈美さんと林秀彦さんの間に生まれたのが、岩崎リズ(里鶴)さんです。

参照:http://wws.tv-asahi.co.jp

岩崎リズさんは、1976年1月8日生まれで、女子美術大学付属高等学校を経て女子美術短期大学造形科彫塑専攻を卒業。

卒業後はインディーズバンドで活動していましたが、現在は脚本家、小説家、タレントとして活動されています。

お母さんの冨士眞奈美さんと一緒にテレビ出演されることも多いようですよ♪

岩崎リズさんは現在46歳ですが、結婚をされているかどうかは分かりませんでした。

冨士眞奈美さんと一緒には住んでいないのですが、近くにご自宅のマンションがあり、築30年以上3階建ての一戸建てに住む冨士眞奈美さんに、家を引き払ってマンションで同居しようと提案されたこともあるようです。

しかし、思い出の詰まった家から離れるのが嫌なのか、冨士眞奈美さんは断固拒否!

別居生活は続いているようです。

岩崎リズさんは、怪我の多い高齢の母親のことが気がかりでしょうがないでしょうね。

ですが、母娘の中はとっても良いようですので、近くに住んでいてくれて、冨士眞奈美さんも心強いでしょう。

参照:http://www2.nhk.or.jp

周りの人をみんな幸せにしてしまう、ハッピーオーラが出まくっているような冨士眞奈美さん。

これからも体調や怪我に気をつけながら、私たちに素敵な笑顔を見せてほしいですね♪

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