エッセイストである海老名香葉子と兄で、江戸和竿を作られている中根喜三郎さんが、12/8のテレビ朝日「徹子の部屋」に初出演されます。
幼いころ、東京大空襲が始まり13歳と11歳で両親を亡くされたという兄妹。
戦災孤児として支えあいながら2人で生き抜いてきたそうです。
海老名香葉子さんのプロフィール
旧姓 中根 香葉子
出身地 東京都墨田区
生年月日 1933年10月6日
職業 エッセイスト/絵本作家/作家/株式会社ねぎし事務所代表取締役
初代の林家三平の妻である海老名さん。落語一家のおかみさんとしても活躍されています。
第2次世界大戦中、三兄であった喜三郎さん以外の家族6人を亡くし親戚中をたらい回しにされていたそうですが、父の知人で釣り好きだったという落語家の3代目三遊亭金馬に引き取られたそうです。
夫である初代林家三平さんとは、金馬家に出入りしていた七代目林家正蔵の妻によって引き寄せされた縁だったそうで、4人の子供に恵まれました。
実家は、釣り竿の名匠「竿忠」として裕福な家庭であったと思われますが、戦争以後は波乱万丈な生活を送られていたようです。
兄・中根喜三郎さんのプロフィール
名前 中根 喜三郎(なかね きさぶろう)
生年月日 1932年1月1日
出身地 東京都墨田区
職業 釣竿職人
「うしろの正面だあれ」や「あした元気にな~れ!」は中根さんがモデルである。
生まれ育った家は、釣り竿の名匠である「竿忠」であり、現在は4代目として活躍されています。
しかし、東京大空襲で妹以外の家族を亡くし、それ以前に父から釣り竿職人としての仕事を習ったことはなく、落語家の3代目三遊亭金馬に勧められ父の店であった「竿忠」を継ぐことを勧められ19歳で竿辰に弟子入りされたそうです。
遅い職人デビューとなったものの、昭和49年竿忠4代目を襲名、今では中根さんしか作ることが出来ない、漆の胡麻塗りや節影塗りの継ぎ手などは、単に釣り竿という機能だけではなく工芸品の価値を持っており、2015年には東京都の名誉都民となっています。
中根さんは、戦争から自分の力で父の店を受け継いだ苦労人なんですね。
2人の人生を大きく変えた戦争・東京大空襲
戦争中、年齢が若かった海老名さんは静岡県の沼津市に疎開していたそうです。
米軍の焼夷弾が下町を襲った東京大空襲で、唯一生き残った兄・中根さんが、疎開先の静岡に来て家族ら6人の死を海老名さんに告げたそうです。
「つらくなると、家があった場所(現墨田区)に行って家族の名前を呼んで泣くだけ泣きました。焼け跡を掘り起こすと、弟の布団の切れ端やお茶碗のかけらが出てきました」
徹子の部屋では、互いに支えあいながら生きてきた半生を語って下さるそうです。
戦争を知らない世代にとっては貴重な話になると思います。
気になる方はぜひ放送をチェックしてみてくださいね。
コメント
12月8日 テレビ 徹子の部屋 出演の海老名香葉子さん、お兄さん、のお話
感激して観ました。
ご先祖が、見守って、今のお二人があるのだと、胸が一杯になりました。
私も、76才、最近、先祖の方々がいて、今の私がいる、こういう事を考えるようになりました。
[…] 引用:https://saract.com/ […]