「介護保険の母」と呼ばれる評論家の樋口恵子さんが、2023年4月7日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演されます。
今回は、女性の地位向上に尽力し、高齢化社会の問題点を鋭く突いてきた樋口恵子さんの人生に迫ります。
樋口恵子さんの経歴、病気、ご結婚やご家族に関して調べていきますよ。
樋口恵子の経歴やプロフィールは?
参照:https://business.nikkei.com
- 名前:樋口恵子(ひぐち けいこ)
- 生年月日:1932年5月4日
- 年齢:90歳(2023年4月現在)
- 出身地:東京都
- 出身高校:東京女子高等師範学校附属新制高校(現・お茶の水女子大学附属高等学校)卒
- 出身大学:東京大学文学部美学美術史学科卒
- 所属:東京家政大学名誉教授
東京都に生まれた樋口恵子さん。父親は考古学者の柴田常恵(しばたじょうえ)さんです。
都立第十高等女学校(現・東京都立豊島高等学校)に入学したものの3日後に肺結核を発症。1年半を病床で過ごすことになり、中退を余儀なくされました。
その後、東京女子高等師範学校附属新制高校に入学し、1952年に東京大学文学部に入学。
当時は、女性への高等教育が許されてきた時期で、樋口恵子さんが入学した年も女性の入学者はわずか15人(全体の3%)という時代でした。
そんな男性社会の中で女性の居場所がないことに違和感を覚えていた樋口恵子さんは、新聞部に所属して「女子寮や女性用トイレを増やして」といったことも発信していました。
東大新聞部では初の女性編集長に就任し、ジャーナリストを目指すようになります。
しかし、まだ女性の社会進出には大きな壁があった時代。
女性を採用してくれる新聞社はほとんどなく、唯一合格した時事通信社に入社しました。
それでも会社では雑用ばかりの日々。男性社員は次々と仕事がもらえるのに、自分は…と大きな失望をした樋口恵子さんは、入社して1年後に見合いをして、東大工学部出身でエンジニアの男性と結婚退職してしまいました。
結婚後、夫の職場(キヤノン)の工場がある山口県に引っ越し、専業主婦になり長女を出産。まもなく夫の転勤で東京に戻りました。
東京で樋口恵子さんは再び働く決意をするのですが、実はそれは新婚時代に夫が言った一言が大きなきっかけでした。
「僕たちは国民の税金で大学を出たんですよ。あなたもせっかく大学に行ったのだから、税金を払ってくれた人のために、何か役立つことができるよう勉強したらどうですか?」
こうして2歳の娘を母に見てもらいながら就職活動を始めた樋口恵子さん。高度経済成長真っ只中の日本でしたが、それでもまだ女性の就職は非常に厳しいものでした。
「結婚したら女性は退職するもの」「既婚女性は正社員になれない」というのが当たり前。書いた履歴書は100枚以上にも上りました。
そんな中、学研の育児雑誌の編集者に採用されたのですが、学研も決して既婚女性の就職に関して寛容だったわけではありません。
面接の際には「女性は妊娠4ヶ月で退職という内規がある」と言われたんです!
今では信じられないような規定ですよね~。パワハラ、セクハラで訴えられる案件です(笑)
しかしこれに樋口恵子さんは反論。
「母親向けの雑誌を作ろうとしているのに、母親の目を阻害していいのですか?」
これを聞いた学研の社長の判断で樋口恵子さんは採用が決まり、編集者としてバリバリ働き始めます。
この時期に『婦人問題懇話会』という民間の研究団体に関心を持ち、ライターとして本の出版にも関わるように。
しかし、樋口恵子さん31歳の時に最愛の夫が病死。
当時のキヤノンには、男性社員が若くして死亡した場合、その妻を社員として採用するという慣習があったため、学研を辞めてキヤノンの広報部に入社。
ライターとしての仕事を続けながら、キヤノンでも働くという、まさに働き詰めの生活をしていく中で、壮絶な母の介護も経験した樋口恵子さんは、キヤノンを退職後に評論家として独立。
この時代は、「介護は女性(妻や娘など)がするもの」という時代だったので、そういった風潮を無くし、国の制度として介護をサポートするために「介護保険制度」の制定のために動き出したのです。
樋口恵子さんは、40代初めにジャーナリストの男性と事実婚しました。
そして、50歳の時に(1983年)に「高齢社会をよくする女性の会」を設立。1986年には東京家政大学の教授に就任しています。
多くの仲間たちと共に女性問題に立ち向かっていた樋口恵子さんですが、夫が66歳の時に脳梗塞で倒れ寝たきりになり、その介護中に自身も乳がんが発覚。
幸いにも転移をしないタイプのガンで切除して治ったのですが、夫の介護と自分の病気でまさに「家族共倒れ」の状況に。ちょうどその頃論争をしていた「介護保険」の必要性を改めて思い知った樋口恵子さんは、介護保険制度の設立に尽力し、大きな役割を果たしました。
70歳で東京家政大学を退職し名誉教授となった樋口恵子さんは、周囲に推されてなんと東京都知事選に出馬!
対抗馬は石原慎太郎氏で、結果は負けてしまったものの石原慎太郎氏に次ぐ2位という結果でした。
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その後も現在に至るまで女性のための戦いに身を投じている樋口恵子さん。
講演や執筆を精力的に行っておられますよ!
樋口恵子の病気(乳がん)は?
樋口恵子さんのこれまでの人生は、女性の地位向上のための戦いと同時に、病魔との闘いの歴史でもあります。
小学3年生の時に急性腎臓炎を患い、1か月半の入院とその後1年にも及ぶ厳しい食事制限などの療養生活を余儀なくされました。
高校入学した3日後には結核にかかって1年半の入院生活。
妊娠した時には、医師から「千人に一人」といわれるほどの重症 悪阻で出産までの半年間、入院して点滴につながれベッドで安静にしていました。
産後は健康になりバリバリ働いていましたが、50歳の時には後援会の最中に壇上で下半身から血の塊が流れ出ました。樋口恵子さんはざわつく会場の聴衆に「お静かに」と言って公演を続けましたが、後日、子宮筋腫の摘出手術を受けたのです。
66歳の時には、倒れた夫の介護中に自らの乳がんが発覚し、手術。
77歳を目前にした2009年の春には、体調が悪い日が続き、腹部に膨満感があったため受診すると、「胸腹部大動脈瘤感染症」と分かり、緊急入院し大手術。
そして89歳にして、再度乳がんとなってしまったのです。
以前は、大病などをした時には延命治療はしないと決めていた樋口恵子さんですが、いざとなると考えが変わったようです。
「この世ともお別れ……お名残惜しゅうございます」と落ち込み、自身でもそう感じることが意外だったと語る。
こうして樋口恵子さんは乳がんの手術を決意し、治療をしました。
この時実は、手術をためらった理由は、延命治療拒否の意思表示をしていた以外にもう一つありました。
それは、「歯」です。
なんと樋口恵子さんは、このお年まですべて自分の歯でいらしたんです!
参照:https://yomidr.yomiuri.co.jp
しかし、全身麻酔での手術の際には術前に歯科検診を受け、ぐらついた歯があれば抜かなければいけません。術中に挿管をするのですが、その際に歯が抜け落ちて気管や肺に入る危険性を防ぐためです。
これまで頑張って自前の歯を維持していたのに、手術のために抜くのか…。そう悩んだんだとか。
しかしやはり命には代えられません。
覚悟を決めて術前検査をすると、歯を抜く必要もないことが分かり安心して全身麻酔で手術を受けられました。
このように、何度となく大病をしてそれを乗り越えてきた樋口恵子さん。まさに満身創痍ですが、それでも強い意志を持って歩みを止めることなく進んでこられたのですね。
樋口恵子と再婚した旦那や子供(娘)の現在は?自宅がすごい!
樋口恵子さんには2度の結婚経験があります。
一度目は、大学卒業後に時事通信社に入社し、仕事に苦悩してお見合いをしたお相手とでした。
お相手は、東京大学工学部卒でキヤノンにお勤めだった5歳年上のエンジニアです。
その夫との間に一女をもうけ、樋口恵子さん自身も再び仕事を始めていましたが、樋口恵子さんが31歳の時に夫が糖尿病性昏睡で倒れ、その5日後に帰らぬ人となってしまいました。
悲嘆にくれた樋口恵子さんですが、それでも働き続け、評論家として頭角を現し始めた40代初めに2度目の結婚をされます。事実婚でした。
お相手は共同通信社で長く務めたジャーナリストで、会社勤めの後はいくつかの大学教鞭をとっていた新井直之さんだそうです。
この頃、娘さんは中学3年生という多感な時期でしたので、樋口恵子さんの実家で同居してはいましたが、夫のための領域を作り、家賃をもらって、程よい距離感を保っていたそうです。
しかしこの夫も66歳の時に重度の脳梗塞を患い、3年3か月の闘病の末に69歳で他界されました。
娘さんに関しては、お名前など詳細な情報は分かりませんでしたが、「1960年に2歳」との記載がありましたので、現在は62歳か63歳、ご職業は医師。
独身で樋口恵子さんとずっと同居していらっしゃるとのことです。
ところで、現在樋口恵子さんがお住まいのご自宅なのですが、詳細は分かりませんが、東京都杉並区の高級住宅地が立ち並ぶエリアに一軒家をお持ちのようです。
最初の結婚で山口に越した樋口恵子さんは、夫の転勤で再び東京に戻った時には樋口恵子さんのご実家に帰られました。
その後、2度目の結婚の際には「樋口さんが建てた家に同居」と書かれた記事がありましたので、30代後半から40歳になる頃に家を建てられたと思われます。
女性の社会進出にはまだまだ差別が横行していた時代に、若くして夫を亡くして子供を抱えた女性が杉並区に一軒家とは…樋口恵子さんがどれだけがむしゃらに働いていたか、そしてその能力が認められていたかが分かりますね!
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ご自身の様々な経験から、女性や高齢者の権利を守るために走り続けてきた樋口恵子さん。
彼女がいなければ、今頃日本はどうなっていたのでしょうか。
日本が超高齢化社会に突入するこの時代、樋口恵子さんの発信する言葉一つ一つに、もう一度耳を傾けていきたいものですね。
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