花火の企画・演出を行う、小勝敏克さんが夢の扉に出演されます。
実は、夏だけでなく、テーマパークやアーティストのコンサートなどで華やかな演出をしているのですが、その花火の現場が変わりつつあるそうです。
小勝さんはエンターテインメントとして花火の新しい可能性に挑戦されています。
小勝敏克さんのプロフィール
生年月日 1949年
出身地 東京都府中市
職業 花火エンターテイメントの企画・演出
・2010年「観客参加型花火大会」が評価され、グッドデザイン賞を受賞した。
・経済産業省の「クールジャパンの芽を磨き上げる59プロジェクト」にも選定された。
丸玉屋は1990年に創業され、音楽と花火を1/30秒の単位で同調させることができる「花火ファンタジア」を開発されており、花火ショーのパイオニアとして活躍されています。
花火ファンタジアってどんなもの?最新の花火とは?
実は、小勝さんの実家は、代々花火師の家で江戸時代末期より150年ほど続く「丸玉屋小勝煙火店」という有名な花火屋なんだそうです。
戦後もいち早く海外へ花火を輸出したり、GHQより直接許可をもらい花火の再開をしたという歴史のある花火屋さんだったのですが、小勝さん自身は自分の人生は自分で切り開きたいという気持ちがあって、元々家業を継ぐことは考えたことがなかったそうです。
大学卒業後、サラリーマンとして3年ほど勤めたがなかなか評価を得られず、考えの整理を含めて3年間アメリカにバックパック旅行をしたそうです。
何度となく実家から家業に戻ってこいという言葉をもらっていて、あまり細かなことをこだわるのをやめ、帰国後は実家の丸玉屋小勝煙火店で働かせてもらうことにしたんだそうです。
実家で営業担当として働き始め、自分にしかできないこととは…と考えた結果、小勝さんは海外営業活動をすることになりました。
日本では夏が花火の消費のほとんどを占めていたため、11月から2月などの閑散期に欧米を周り、日本の花火を輸出して回ることにしました。それから世界中に輸出していましたが、特にアメリカは市場が大きく、同業他社十数社を回ることで、売上の65%が輸出を占めるようになっていきました。これは自分だからできる仕事だな、という納得感を持つことができました
そのうち、フランス人の演出した花火ショーを見る機会が訪れ、フランス語で内容は分からないながらも、「花火はここまでできるんだ!」という衝撃と可能性を感じたそうです。
そのため1990年に伝統花火の追及をしていた実家とは違った花火の可能性をめざし、父と一緒に株式会社丸玉屋として独立したんだそうです。
花火職人にどうやったらなれるの?求人は?
実際に株式会社 元祖丸玉屋小勝煙火店で働いている方のインタビューにはこうあります。
花火の世界に入るためにはどうすればよいか模索しているとき、雑誌で見つけたのが“花火師が持つ資格”という記事。大学で化学専攻だったこともあり、その中に含まれていた甲種危険物取扱者資格を1998年に取得しました。そして2000年、28歳のとき、現在の会社を訪問。最初は断られたものの、花火が作りたい一心で粘り、本社直営のおもちゃ花火店のアルバイトに。その後、工場の人員に空きが出て採用されることになりました
この方は大学卒業後、繊維メーカーに就職されていたそうですが、転職して花火師になり15年目だそうです。
また、ハローワークをチェックすると急募で求人があったりします。
「花火ショー運営スタッフ(浦安)」ということなので、もしかしたら、夢の国ディズニーのお仕事かもしれませんね。
仕事内容は未経験でも安全に作業できるとのことで、花火の仕事をしてみたいと思った方はこまめに求人をチェックするのもよさそうですね。
伝統の花火と新時代の花火。
どちらが良いとかではなく、どちらも夏を楽しむ風物詩としてずっと残ってほしいものですね。
また夢の扉では、どんなことが語られるのでしょうか?
小勝さんの挑戦を応援したいですね!
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