伊東忠太が再建した築地本願寺がインド風?建築家で漫画「阿修羅帖」刊行?【美の巨人たち】

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伊東忠太さんが再建した築地本願寺がを知っていますか?

伊藤さんは明治神宮や神社、寺などを得意とする建築家で、明治から昭和気に活躍されました。

築地本願寺の再建を依頼された伊藤さんでしたが、なんと寺院建築の常識を覆し、インドのような建造物に作り変えてしまったそうです。

そんなことをして大丈夫だったのでしょうか?
またどうして、インドのような建築物に作り変えてしまったのでしょうか?

伊藤忠太さんのプロフィール

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名前    伊藤 忠太(いとう ちゅうた)
生年月日  1867年11月21日
死没   1954年4月7日
出身地   山形県米沢市
出身校   帝国大学(現・東京大学)

・早稲田大学の教授だったこともある。
・父の弟に官僚であり政治家の平田東助がいる。
・建築家で初めて文化勲章を受章した。(1943年)

伊東さんは日本建築を本格的に見直したパイオニアなんだそうです。
法隆寺を「日本最古の寺院建築である」と学問的に示したことでも有名な人だそうです。

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どうして築地本願寺をインド風の建築物に?

写真を見て頂ければわかるように、お寺と言われても首をかしげてしまいそうな建物ですよね。よく「イメージにある日本のお寺らしくない」と言われるそうです。

外観の特徴は丸みのある屋根とトゲのような塔。石の階段と宮殿のような柱が施され、当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリートで作られています

36歳の時に中国・インド・ペルシャ・トルコを旅した伊東さんですが、ヒンドゥー寺院や仏教建築に大きな刺激を受けたそうです。

旅の途中で、宗教活動の一環として遺跡などの発掘調査をしていた大谷さん率いる探検家のメンバーと偶然に知り合います。

帰国後、大谷さんと出会い、意気投合し、寺の設計を依頼したそうなんです。

仏教の発祥の地であるインドやイスラムを意識したものにしたいという2人の思惑が重なったのだと思われます。

出来上がった建物は、インド風というだけでなく、パイプオルガンやステンドガラス、空想的な動物のオブジェ、金色の祭壇など、インド、西洋、イスラム、日本というような異なる様式を融合し、礼拝、説教、会議、事務などさまざまなことがこの建物1つで事足りるようになっています。

今は住宅も和洋折衷の造りが一般的ですが、約70年前に神社にそれを取り入れたすごい建築家が伊東さんなんです。

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ところでなんで漫画絵「阿修羅帖」を刊行したの?

実は絵を描く仕事をしたかったという伊東さんなんですが、父親に猛反対され建築家の道を歩むことになりました。

きっとどこかに絵を描く仕事がしたいという思いが残っていて、漫画絵「阿修羅帖」を刊行するに至ったのだと思います。

ちなみに築地本願寺にも動物や架空の動物のモチーフが、たくさんちりばめられています。きっと好きなことに対する情熱が強い人なんでしょうね。

美の巨人たちでは、さらに詳しいことがわかるかもしれません!
放送を楽しみに待ちましょう!

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追記 放送終了後

美の巨人たちではカレーになぞらえて物語が進行していきましたね。

晩年にまでひげを伸ばしている伊東さんですが、36歳頃の伊藤さんも髭を生やしていたんですね。

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また明治時代の築地本願寺の写真も紹介されました。
これは関東大震災による火災で、焼失してしまいます。

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築地本願寺とアジャンター石窟寺院がかなり似ていましたね(笑)
大きく影響を受けたのでしょうね。

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そして、好きなものはやっぱり妖怪や漫画絵でした。

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本堂も美しく、目を奪われますね。

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お寺には不似合いの椅子が置いてあるのも不思議な光景です。
気になった方は築地本願寺に行ってみてはどうでしょう?

伊藤忠太が海外を旅したエッセンスを感じることができると思います!

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