2023年3月31日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)のゲストは、演歌の大御所、八代亜紀さんです。
日本人の心を揺さぶる歌声で知られる八代亜紀さん。
今回はそんな八代亜紀さんにスポットを当ててまいります!経歴はもちろん、八代亜紀さんの病気や若い頃、そしてルーツにまで迫りますよ。
八代亜紀の経歴やプロフィールは?本名は?ハーフなの?
- 名前:八代亜紀(やしろ あき)
- 本名:橋本明代(はしもと あきよ)
- 生年月日:1950年8月29日
- 年齢:72歳(2023年3月現在)
- 出身地:熊本県八代郡金剛村(現・八代市)
- 学歴:八代市立第六中学校卒
- 身長:162cm
- 血液型:B型
- 所属事務所:ミリオン企画
演歌歌手として数々のヒット曲をリリースしている八代亜紀さん。生まれは熊本県八代(やつしろ)郡金剛村(こんごうそん)です。
幼いころから父が歌う浪曲を子守歌代わりに聞いていたという八代亜紀さんは、その影響で歌が好きになり、歌唱コンクールなどにも出場するようになっていたそうです。
小学5年生の頃には、父が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聞き、クラブ歌手になりたいという夢を持つようになりました。
中学を卒業後、地元でバスガイドとして就職しますが、15歳で上京し音楽学院に通い、3年後に銀座でクラブ歌手になりました。
その同じ店に三谷謙という歌手がおり、その方から芸能事務所を紹介され、1971年に「八代亜紀」としてテイチクから『愛は死んでも』でデビュー。
実はこの三谷謙さんという方、後の五木ひろしさんなんです!
運命的な出会いですよね~。
1973年に『なみだ恋』が120万枚の大ヒットを記録すると、その後、出す曲出す曲大ヒットし、1979年の『舟歌』、1980年の『雨の慕情』は八代亜紀さんの代表曲となりました。
この『雨の慕情』で、第11回日本歌謡大賞や第22回日本レコード大賞を受賞されています。
この頃、八代亜紀さんの日本人離れした美貌と、ハスキーボイスで切ない女心を謳い上げるその声が、日本中のトラック運転手を虜にし、「トラック野郎の女神」として絶大な支持を得ていました。
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日本のあちこちで、八代亜紀さんの姿を観音様に見立てた「亜紀観音」 が描かれたデコトラが走っていたんですよ♪
ちなみに八代亜紀さんは、その透き通るような白い肌や彫の深い美しい顔立ちで、「ハーフでは?」との噂がありましたが、調べたところご両親ともに日本人のようでした。
このように、歌手として確固たる地位を築いている八代亜紀さんですが、実は世界でも通用するほどの画家でもあります。
浪曲が得意だった八代亜紀さんの父親は、若い頃は画家志望だったことで、八代亜紀さんも幼いころから絵を描き続けており、なんと、世界最古の国際公募展といわれるフランスの「ル・サロン」では、5年連続入選しているほどの実力なのです!
この「ル・サロン」では永久会員の称号も受けています。
非常に多才な方なのですね~。
八代亜紀さんは個展も何度も開催されていますよ♪
プライベートでは、1994年に元歌手でマネージャーだった(後に八代亜紀さんの個人事務所社長となった)男性と結婚されています。
しかし、2021年1月に熟年離婚。詳しい離婚理由は語られていませんが、元夫である増田登さんは、個人事務所の社長は辞任しているものの、離婚後もサポートはするとおっしゃっていたようです。
お二人の間にお子さんはいらっしゃいません。
2022年10月21日・22日には、コロナ禍で2年間延期されていた「八代亜紀デビュー50周年記念」のフランス・パリ公演を開催。
2日間とも超満員で、八代亜紀さんの歌声に思わず涙ぐむ観客もいたのだとか。
人生はロックだと思ってた。
これからは演歌で行く。
八代亜紀さんのパリ公演、日本文化会館にて昨晩3列目で拝んできた。
圧巻のステージ、フランス人も大興奮。
雨の慕情で始まり、舟唄で終わる。
目配り気配り心配り、菩薩のような笑顔。ジャズからド演歌まで16曲拝聴。魂が震えた2時間。 pic.twitter.com/S1EEJZpQTC— みほ (@mihoparis) October 22, 2022
今年73歳になられる八代亜紀さんですが、遠く故郷を離れ、異国で暮らしている日本人はもちろん、フランス人の観客の魂も揺さぶるような歌声は今でも健在なのですね♪
八代亜紀の病気(脳梗塞)で現在は?
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八代亜紀さんについて調べていると、いくつか不穏なキーワードが出てきました。
それは、「脳梗塞」と「呂律が回らない」です。
実は八代亜紀さんは、2014年6月29日放送の 『駆け込みドクター!運命を変える健康診断』という番組で、「隠れ脳梗塞の疑い」という診断を受けたのです。
その際、脂質異常症の指摘もありました。脂質異常症は動脈硬化の原因となり、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす要因とも言われています。
また八代亜紀さんは、トークショーなどに出演された際に、度々「呂律が回っていない」と視聴者から心配の声も上がっているのです
徹子の部屋。八代亜紀の口がまったくまわってない!なに言ってるか解らない。脳梗塞の人みたいだ、、どーしたの?
— しょうきち✲ (@kikubibiriwan) December 18, 2012
こういったことから「八代亜紀さんは脳梗塞なのでは?」との噂が広まったようですが、現在のところそのような情報は見つかりませんでした。
健康にも気を使っていらっしゃるようです。
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しかし、脳梗塞以外にも少し心配なことがあります。
それは、過去に「メニエール病」を発症されているということです。
1991年、1週間にわたるツアーを終えた翌日、最愛の父が亡くなってしまった八代亜紀さん。
しかし、1か月の長期公演を目前にしていたため、悲しみに暮れることもできないままに、公演をこなしたのですが、その直後に発症したのだそう。
メニエール病の原因は強いストレスとも言われており、激しい回転性のめまい、難聴、耳鳴り、耳閉感という症状が現れ、治療して治っても再発しやすいことで知られています。
実際、最初に発症してから10年後、再発されているのだとか。
歌手生命にも関わる可能性があるメニエール病。発症してからの八代亜紀さんは、とにかくストレスをため込まないように気を付けていらっしゃるそうです。
八代亜紀の若い頃の写真や生い立ち・代表曲は?
参照:http://yashiro.mirion.co.jp/
熊本県で生を受けた八代亜紀さん。
ご両親は20歳と19歳で駆け落ち同然で結婚されました。
八代亜紀さんが小学2年の時に会社員だった父が運送会社を立ち上げましたが、生活は決して豊かではありませんでした。
貧しいながらもご両親から愛情たっぷりに育てられた八代亜紀さんは、早く家計を助けたいと中学卒業後にバスガイドになります。
しかし、歌手になりたいという夢を諦めきれなかった八代亜紀さんは、年をごまかしキャバレーの専属歌手をするようになりましたが、わずか3日で両親にバレて勘当され、上京したのでした。
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デビュー曲の『愛は死んでも』(1971)はあまりヒットせず、2年間苦しい時期が続きましたが、1973年の『なみだ恋』は大ヒット!
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以降もヒット曲を連発し、『舟歌』(1979)や『雨の慕情』(1980)は八代亜紀さんの代表曲として、今でも広く愛される曲となっています。
八代亜紀 – (7) 雨の慕情 (1980) TEICHIKU RECORDS RS-195
第22回日本レコード大賞・大賞および第11回日本歌謡大賞・大賞をともに受賞した、彼女の代表曲と言っていい大名曲。心が忘れたあのひとも膝が重さを覚えてる…過ぎゆく日々と時間の中で…やるせない女心の葛藤…雨よ…連れてきておくれ… pic.twitter.com/fAPQlyRljD— ささもてぃんⁿ@糖尿魔王 (@yukihirosasamo) June 17, 2018
それにしても、今でもお美しい八代亜紀さんですが、お若い頃は本当に日本人離れした美しさですよね!
愁いを帯びた猫のような瞳に吸い込まれそうです。
実は、その美貌には意外な「ルーツ」が関係していたと思われます。
1977年に公開された『ルーツ』という映画で、自分のルーツに関心を持ったという八代亜紀さん。すると、とある大学の先生が八代亜紀さんのルーツを調べてくれたのだそうです。
その結果、母親は琉球王朝の末裔だということが分かったんです!
どことなくエキゾチックな美貌の理由は、そこにあるのかもしれませんね。
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70歳を超えてもなお、歌手として、画家として精力的に活動されている八代亜紀さん。
これからもその変わらぬ歌声で、日本に元気を与えてくれることでしょう♪
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