画家とマタギという2足のわらじを履く女性・永沢碧衣さん、2022年3月13日放送のフジテレビ『ザ・ノンフィクション』に出演されます。
美大を卒業されながら、山へ分け入り獲物を追うことに情熱をかける女性。
その理由は一体何なのでしょうか。
今回はそんな永沢碧衣さんに迫ります。
永沢碧衣さんがマタギをする理由、出身校などの経歴、ご家族のことも調べてみましたよ♪
永沢碧衣の経歴や出身校は?
- 名前:永沢碧衣(ながさわ あおい)
- 年齢:27歳(1994年生まれ)
- 出身地:秋田県山内村(現・横手市)
- 学歴:秋田県立横手城南高校→秋田公立美術学校アーツ&ルーツ専攻
- 身長:不明
- 体重:不明
- 血液型:不明
- 所属:クリエイティブユニット「パシャパ舎」
永沢碧衣さんは、造形作家・永沢敏晴さんの長女として秋田県の山内(さんない)村という奥羽山脈の麓の小さな村に生まれました。
父が芸術家で、自身も大いなる自然に囲まれた環境で育った永沢碧衣さんは、秋田の美大に進みます。
当時、永沢碧衣さんは現在とは真逆のような絵を描いていたそうです。
それまで、自分の性格とは逆の、ハッピーな感じの空想画を描いて、見る人を幸せな気持ちにしたいと思ってました。「ありそうな絵」と評価されることが多かったです。私という描き手の“個”を問われると、どこにあるのか自分でもよくわからなくて。
ですが大学在学中にお父さんが倒れ、お金がかかる美大での勉強を続けるかどうかの選択を迫られる事態になります。
結局、永沢碧衣さんはアルバイトを頑張り、奨学金を増やすことで卒業をされましたが、それを契機に描くものが変わったのだそう。
それが、自分の幼少期の原体験でもある自然や生き物だったのです。
2016年の大学卒業後は、地元横手の水産物卸売市場に就職。
職場からのサポートもあり、午前中は営業、午後は制作という生活を始めました。
2018年からは東京に移り飲食店を併設しているギャラリーで働きながら東京と秋田の2拠点で制作を続けてきました。
現在は、秋田でマタギをしながら制作をされています。
永沢碧衣さんの描く絵には、大いなる自然が描かれてます。
特に印象的で圧倒されるのが、このように熊をテーマに描かれたものです。
レジデンス制作の展示が完了しましたー!制作日数8日間。
じんべいと八木沢の自然と人柄の暖かさに癒されながらの夏でした。また来ますー pic.twitter.com/W3u5M73t3c— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) August 22, 2018
切り深い秋田の山から現れる熊。
その姿はよく見ると山そのものであり、木々や崖と溶け合っている、自然そのものなのです。
そしてその自然は、偉大さと恐ろしさも併せ持っているのですね。
本日も午前中から阿仁公民館会場に在廊しています。ご来場お待ちしています。
*作品の部分写真
今、これからを見据える者の頭上にて#artwork #アート #絵 #阿仁公民館 #北秋田市 #阿仁 #永沢碧衣絵画作品展 #絵画 #展覧会 #個展 #マタギ #exhibition #art #霧中の山に抱かれて pic.twitter.com/r8GkgqMSWA
— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) October 5, 2021
熊の頭上に、鳥居とお社がある絵も素敵ですね!
偉大な自然の中に、私たち人間の営みもあるんだな~と思いました。
永沢碧衣さんは、マタギをしながらただ獲物を狩っているのではなく、大きな自然の中に飛び込み、畏怖の念を抱き続けながら、命をいただいているのだというように感じられますね。
永沢碧衣がマタギをする理由は?
永沢碧衣さんが通っていた秋田公立美術大学での卒業制作の際、永沢碧衣さんはフィールドワークをされ、その時に「マタギ」の話を聞いたのだそうです。
永沢碧衣さんはそのマタギの方に会ってみたいと感じたのですが、後に会いに行ったらその方は既に亡くなっていました。
ですがそこで阿仁マタギのシカリ(マタギの統領)の鈴木英雄さんに出会いました。
じつはこの鈴木英雄さん、阿仁マタギの最高峰かつ伝説的なシカリとして知られる鈴木辰五郎さんのお孫さんなのです。
この鈴木英雄さんとの出会いが、永沢碧衣さんを変えました。
それまで、幼いころから自然を愛し触れ合ってきた永沢碧衣さんでしたが、「今までは整った道から山を見ていた」と感じたそうです。
そして、山に分け入り道なき道を進みながら、山から命をいただくというマタギの考え方に感銘を受け、マタギ・鈴木英雄さんに少しでも近づきたいと、弟子入りしてマタギの道を進み始めたのです。
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永沢碧衣さんの師匠である鈴木英雄さんはこうおっしゃいます。
よくね「マタギとハンターの何が違うんだ?」って聞かれるんだけど、たとえば山に対する気持ちとか、クマに対する気持ちとか、代々受け継がれてきた文化があってそこが違うんだと思う。
山は神聖な場所で、ぜんぶ山の神様のものだって教わってきた。
ですから、狩猟のシーズンに熊が何頭獲れたか?という質問に対し「勝負して授かった」という言い方で答えているインタビューがありました。
ただ単に、熊を狩るという感覚ではなく、神聖な山の中で神様から命を「授かっている」という思いが根っこにある方なのでしょう。
そこに、永沢碧衣さんも大きく心を動かされたのではないでしょうか。
美術をやりたいと思ったきっかけとマタギになってみたいと思えたきっかけは
多分同じくらいの衝撃。
ただただ綺麗なだけじゃない、
簡単には見えない奥底にまで触れたかったから…かもしれない。 pic.twitter.com/7lDP60OIz3— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) November 1, 2021
底が見えない深みに、手を伸ばしているのでしょうか。
永沢碧衣の両親や兄弟はいる?
永沢碧衣さんを育んだご家族に関しても調べてみました。
永沢碧衣さんのご両親はお二人とも山内村のご出身です。
東京に強い憧れを持つお母様と、そうでもない(笑)お父様との間で育った永沢碧衣さんは、自然が豊かで水がきれいな地元大好きな女性に成長されました。
永沢碧衣さんの父親は、造形作家の永沢敏晴さんです。運送用の緩衝素材を使って、生物の立体作品を制作されています。
参照:https://toshiharunagasawa.pb.studio
そのような環境で育ったので、「命」や「自然」、「生き物」といったモチーフで作品を創るようになったのでしょうね。
また、永沢碧衣さんには弟さんがいらっしゃるようです。
樹氷ガイドをしているマタギの方から手渡されたのは肥料袋
最後にこれで滑ってくると楽しいぞ、と〜
これが本当にスリルあって楽しかったんだな
見事な回転尻滑りを決める弟と
高笑いする姉#森吉 #森吉山 #樹氷 #ソリ #阿仁スキー場 pic.twitter.com/eAEUgwJv2J— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) March 6, 2022
インドアな弟を誘って向かった #森吉山 の樹氷鑑賞。
いつも阿仁でお世話になってる益田くん@masuda_ko にはじめの案内をしてもらいつつ、晴れ間を狙いながらの山歩き
雲間から差し込むスポットライトのような光で #樹氷 が本当にスノーモンスターのように見えてくる
自然の形かっこいいなぁ pic.twitter.com/anpUPsNEJr
— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) March 6, 2022
お名前や年齢、学校などの詳細は分かりませんでしたが、インドア派の弟さんを、マタギのスリリングな生活に時々招いて、自然と触れ合う楽しさを教えてあげているようです♪
最後に、永沢碧衣さんの想いを。。。
足りなかった穴だらけの自分と環境があったおかげで
どこかの穴に身体が傾いては何かに対する推進力が生まれる穴に足を取られる以前には決して戻れないけれど
表面をただ滑るよりも手足をついたその奥からは確かな温度を感じられるのかもしれない…自分はまだどこかで風景しか見ようとしていない pic.twitter.com/jDppDZn9vn
— 永沢 碧衣 Aoi Nagasawa (@DoorAoi) February 10, 2022
いろいろともがきつつも、一歩一歩その感触を確かめながら、そしてそれを一つ一つ自分のものにしながら進んでいる永沢碧衣さん。
マタギをしながら生と死を見つめる彼女の芸術をから、私たちも得られるものがあるのではないでしょうか。
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