鰐淵晴子の現在の画像は?自宅が凄い?結婚した夫や子供はいる?実家の(父母)や家系図は?/徹子

徹子の部屋

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エキゾチックな美貌で人気を博した女優・鰐淵晴子さんが、2022年9月15日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演されます。

日本人とオーストリア人のハーフとして生まれ、天才少女と呼ばれた鰐淵晴子さん。

今回は彼女の人生に迫ります。

鰐淵晴子さんの経歴、現在の画像やご自宅、そして結婚や両親などに関して、ご紹介させていただきます!

鰐淵晴子の経歴やプロフィールは?

参照:http://www.art-promotion.jp

  • 名前:鰐淵晴子(わにぶち はるこ)
  • 生年月日:1945年4月22日
  • 年齢:77歳(2022年9月現在)
  • 出身地:東京都
  • 学歴:大西学園高校卒業
  • 身長:165cm
  • 体重:48kg
  • 血液型:不明
  • 所属事務所:アクターズプロモーション(~2007年)→アートプロモーション

妖艶な美貌と日本人離れしたスタイルで、様々な映像作品でその圧倒的な存在感を示している女優の鰐淵晴子さん。

それもそのはず、実は鰐淵晴子さんは、日本人のお父様とオーストリア人のお母さまの間に生まれたハーフなのです。

しかも、お母様は由緒正しきお血筋の方だというのです。

そのあたりの詳細は、後程ご紹介しますね!

鰐淵晴子さんのお父様は、新潟県長岡市出身のバイオリニスト・鰐淵賢舟(けんしゅう)さんです。

そのため、鰐淵晴子さんは3歳の頃からお父様にバイオリンの英才教育を受けており、「天才少女バイオリニスト」と騒がれていたのだとか。

参照:https://ameblo.jp

いや~、大変な美少女ですね!

この美貌とバイオリンの才能とで世間から大きな注目を集めていた鰐淵晴子さんは、1952年に映画『母子鶴』で若尾文子さん演じる映子の幼少期を演じ、子役デビュー。

1955年には映画『ノンちゃん雲に乗る』でなんと主演として大抜擢。

その美しさは「原節子の再来」と評判になりました。

参照:https://ameblo.jp

ご両親の教育で、英語、ドイツ語も堪能だった鰐淵晴子さんは、オーストリアのトニー・ザイラー(コルチナ・ダンペッツォ五輪アルペン三冠王)が来日して制作された映画『銀嶺の王者』(1960年)では、相手役に選ばれました。

1965年には所属していた松竹を退社してフリーに転身。

様々な映画で活躍されます。

1968年にはアメリカに渡り、1970年、アメリカで出会った写真家のタッド若松氏が撮影したヌード写真集『Ipy Girl Ipy / イッピー・ガール・イッピー』を発表。

この作品は、人気女優の鰐淵晴子さんがヌードになったという話題性はもちろんなのですが、その芸術性で、現在でも非常に高い評価を受けているのです。

1970年、鰐淵晴子さんが拳銃や麻薬の密輸に関与しているという記事が週刊誌に掲載され、大きな話題となります。

しかしこれは虚偽の記事で、名誉棄損で週刊誌側を訴えた鰐淵晴子さん側が勝訴、週刊誌の編集長は有罪判決を受けました。

映画を中心に活動されていた鰐淵晴子さんは、徐々に舞台やテレビにも多く出演されるようになりました。

1995年には『平成無責任一家 東京デラックス』、『遙かな時代の階段を』、『眠れる美女』の3作品で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞しています。

鰐淵晴子さんの怪しい魅力がいかんなく発揮されて話題となったのが、1977年の川端康成原作映画『らしゃめん』でした。

武士の娘として生まれながら、明治維新のあおりを受けてらしゃめんとなり、後に花街に身を落とすお雪の悲しくも美しい人生を、圧倒的な映像美で謳い上げている映画です。

参照:https://www.toei-video.co.jp

1979年の横溝正史原作『悪魔が来たりて笛を吹く』の斎藤とも子役は、彼女以外は考えられないと評判になったほどのはまり役でした。

 

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以降も、様々な作品に出演されていますが、娘の理沙さんがクラッシック音楽の勉強のために留学していた数年間には、日本とドイツを行き来する生活をしていたようで、一時期日本でのお仕事を控えていましたが、今でも家族との時間を大切にしながら、女優としてのお仕事をされていますよ。

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鰐淵晴子の現在の画像は?自宅が凄い?

鰐淵晴子さんは現在77歳、喜寿を迎えられました。

現在は年齢的なこともあるのか、お仕事のペースはゆっくりになっているように感じますが、二人のお孫さんを溺愛されて、充実した日々を送られているようですよ♪

参照:https://ameblo.jp

そんな鰐淵晴子さんが暮らしているご自宅が凄いという噂を聞いて、いろいろと調べてみましたが、ご自宅の画像などは一切見つけることが出来ませんでした。

ですがきっと、ゆったりとした空間に趣味の良い家具を置いて、音楽に包まれて生活されているのではないかな~と勝手に妄想しちゃいます(笑)

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鰐淵晴子の結婚した夫や子供はいる?実家の(父母)や家系図は?

参照:https://yorozoonews.jp

鰐淵晴子さんの父・賢舟さんは、世界的なバイオリニストです。

11歳で渡米しシアトルのコーニッシュ音楽学校に入学。

19歳で渡欧しプラーグ国立音楽学院に入学、4年後に卒業して、プラーグ市のモーツァルトホールでデビューを果たしています。

母・ベルタさんは、オーストリアのウィーンに住んでいた音楽家で、チターという楽器を弾いていたのだとか。

実はベルタさん、なんとハプスブルク家の末裔だというのです!

ハプスブルク家というのはドイツ系の貴族なのですが、政略結婚によって数々の王家や帝国と血縁関係になり、領土を広げていきました。ヨーロッパ随一の名門王家と呼ばれる家系なのですよ。

参照:https://ja.wikipedia.org

あの、マリー・アントワネットもハプスブルク家の血筋だというのですから、ベルタさんがどれほど由緒正しいお家柄だったかが良く分かります。

賢舟さんとベルタさんは欧州で出会いました。

その頃、ウィーンに凱旋したヒトラーと目が合ったというベルタさんは、直感的に「これはマズい!」と感じ、と感じ、夫と共に日本へ渡りました。

ベルタさんがそう感じていなければ、もしかしたら鰐淵晴子さんご一家はオーストリアで戦火に巻き込まれていたのかもしれませんね。

日本で生まれた鰐淵晴子さん。妹の朗子(あきこ)さんと共に美人姉妹と評判になっていたようですよ♪

下の画像で、前列がベルタさんと晴子さん、後列が朗子さんと賢舟さんです。

参照:https://www.pinterest.jp

そんなご家族は、夏は軽井沢で過ごすのが恒例となっており、その地で鰐淵晴子さんは服部時計店(現・セイコーホールディングス株式会社)の御曹司である服部歊(はっとりのぼる)氏と出会っており、その方と1968年に結婚。

翌年には離婚されました。

1968年に渡米した鰐淵晴子さんは、アメリカで出会った写真家のタッド若松さんと、1972年にニューヨークで極秘挙式しました。

お二人の間には、1973年に長女の理沙さんが生まれましたが、1986年に離婚されています。

それ以降は、独身のようです。

娘の理沙さんは、洗足学園大学声楽家を卒業したのち、ドイツに渡り、ケルン音楽大学で学びました。現在は日本で声楽家・タレント・舞台女優として活動されています。

一般人の男性と結婚し、2児の母親でもあります。

鰐淵晴子さんと娘の理沙さんご家族は、とても親しく行き来しており、鰐淵晴子さんにとってお孫さんが生きがいになっているのだとか。

お幸せそうですね~♪

妖艶な美女を演じさせた右に出るものはいないほどだった鰐淵晴子さん。

年を重ね、愛する家族との時間を大切にしている今、いったいどんな表情を見せてくださるのでしょう。

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