うつみ宮土理の生い立ちは?子供はいる?現在は病気?若い頃の画像や旦那との馴れ初めは?/徹子

徹子の部屋

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先月、傘寿を迎えたばかりうつみ宮土理さんが、2022年11月8日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演されます。

タレント・女優として幅広く活躍し、夫である愛川欽也さんとのおしどり夫婦っぷりも話題だったうつみ宮土理さんですが、最近はテレビではあまり拝見しないような…一体どうされているのでしょうか。

今回は、うつみ宮土理さんにスポットを当ててまいります!

経歴や生い立ち、お若い頃やご家族に関すること、そして現在のご様子などをご紹介します。

うつみ宮土理の経歴や生い立ちは?

参照:https://twitter.com

  • 名前:うつみ宮土理(うつみ みどり)
  • 本名:井川三重子(いかわ みえこ)
  • 生年月日:1941年10月1日
  • 年齢:80歳(2022年11月現在)
  • 出身地:東京都世田谷区
  • 学歴:実践女子学園中学・高校卒→実践女子大学文学部卒
  • 身長:156cm
  • 体重:不明
  • 血液型:A型
  • 所属事務所:愛川企画室

造園業を営む家で、5人きょうだいの長子として生まれたうつみ宮土理さん。

幼少期は、劣等生で性格も暗い少女だったのだそう。芸能界で活躍していたうつみ宮土理さんとは、似ても似つかぬ姿ですね。

実母は、うつみ宮土理さんが10歳の時に突然他界。

戦争未亡人で娘を育てていたという母の姉(うつみさんの叔母)が、後妻に入りうつみさんを育ててくれることになりました。

この義理の母との出会いが、うつみさんを大きく変えます。

義母は、非常に愛情深く子供たちを育て、劣等生だったうつみ宮土理さんに対しても、「私の子は天才」といっていつも勉強を教えてくれていました。

そして成績が上がると、答案を仏壇に飾って喜んでくれる義母の姿を見て、「この人を喜ばせる人生を送りたい」と強く思ったうつみさんは、心機一転勉強に励み、中・高の成績はオール5、大学は実践女子大学文学部英文学科を首席で卒業!とんでもない才女だったのですね!

1965年に大学卒業後は朝日新聞社で英字雑誌の編集部に勤務。

1966年、取材で子供番組『ロンパールーム』(日本テレビ系)の面接会場を訪れたことがきっかけで、ロンパールーム2代目お姉さんとして「うつみみどり」の名でタレントデビュー。

うつみ宮土理さんといえば、「ケロンパ」というニックネームで知られていましたが、その名がつけられた理由の一つはこの『ロンパールーム』でした。

この番組内で小さな子供たちがかなり自由な発言をしていたのですが、うつみ宮土理さんがどんな状況にもケロッとして明るく受け流していたのです。

また、ロンパールームの後に出演した『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』で、『ロンパールーム』からの大きなイメチェンが世間からかなり批判されたのですが、それを全く気にしなかったことなどから、放送作家の前田武彦さんが「ケロッとしたロンパールームのお姉さん」という意味でケロンパと名付けたのだとか(笑)。

それから、情報番組やバラエティ番組、ドラマ、映画などにも出演し、一躍お茶の間の人気者となりました。

1978年、『きんきんケロンパ歌謡曲』(テレビ東京)や『シャボン玉こんにちは』(TBS系)で共演していた愛川欽也さんと結婚。

結婚されてからも、タレントや女優、また小説やエッセイ、そして得意の英語を活かした翻訳などの文筆活動も積極的にされています。

80歳になる現在も毎日ラジオ体操に通っているほど健康にも造詣の深いうつみ宮土理さんは、『うつみ宮土理のカチンカチン体操 ヤセたいところがすぐヤセる』(扶桑社)も出していて、大きなヒットとなりました。

夫の愛川欽也さんが2015年4月に病死されると、あまりのショックでしばらく芸能活動を休止されることにしました。

また、同年7月には所属事務所でプロデューサーをされていた義妹(弟さんの妻)が亡くなり、さらなる悲しみに突き落とされましたが、2016年8月に仕事を再開され、現在も活動を続けていらっしゃいます。

公式Instagramでは、3日と開けずに日々のお仕事やお食事などのことを発信されていますし、公式YouTubeチャンネル「けろちゅうぶ」まで開設されています!

いや~、80歳とは思えません!お声の張りやトークのテンポも昔と変わりませんね。

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うつみ宮土理の若い頃の画像や旦那との馴れ初めは?

参照:https://www.tokyo-np.co.jp

うつみ宮土理さんといえば、デビューである『ロンパールーム』。

子どもたちとおやつを食べたり、歌を歌ったり、おしゃべりをしたりする番組でした。

参照:https://www.tokyo-np.co.jp

この番組で、お姉さんは「先生」と呼ばれていたので、うつみ宮土理さんも「みどり先生」という名で親しまれていました。

1972年、『きんきんケロンパ歌謡曲』で生涯の伴侶となる愛川欽也さんと出会ったうつみ宮土理さん。

当時、愛川欽也さんは別の女性と結婚しており、才女であったうつみ宮土理さんのことは「小生意気な女」と言って、あまり好意的ではなかったのだとか。

参照:https://ameblo.jp/newryokutanshi/entry-12015428357.html

しかし、その後も『シャボン玉こんにちは』で共演すると、うつみ宮土理さんの天然で可愛らしいところを知り、二人の距離は近づいていきました。

1978年、元妻と離婚するとその翌日、うつみ宮土理さんと愛川欽也さんは結婚。

今でいう「略奪愛」だったのでしょう。

その後のお二人はまさにおしどり夫婦。

お二人の仲の良い掛け合いは世間からも愛され、2005年には11月22日(いい夫婦の日)に「パートナー・オブ・ザイヤー」に選出。

2007年に愛川欽也さんが28歳の女性との不倫を報じられましたが、うつみ宮土理さんは「かっこいいじゃん」の一言だったそう。

夫への愛情はとても深かったのですね。

2014年に愛川欽也さんが肺がんと診断されると、夫の希望で世間に病名は伏せ、うつみ宮土理さんが自宅で献身的に看病をしました。

しかし愛川欽也さんは2015年に死去。

あまりにもショックの大きかったうつみ宮土理さん。

夫の死後2年間ほどの記憶がないほど憔悴していました…。

現在は、お休みに入られる前から続いていたラジオ『うつみ宮土理のおしゃべりしましょ』(ニッポン放送)に復帰されていますよ。

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うつみ宮土理に子供はいる?現在は病気?

参照:https://news.livedoor.com

うつみ宮土理さんには、お子さんはいらっしゃいません。

夫である愛川欽也さんはは、前妻との間に一男一女をもうけているので、もしかしたらそちらに気を使って、子どもを作らない決心をされていたのかもしれませんね。

あるいは、お二人の間があまりに仲が良すぎて、子どもを授からなかったという可能性も捨てきれません(笑)

2009年、東京都目黒区青葉台に愛川欽也さんが私財を投じて作った劇場『キンケロ・シアター』というものがあります。

ここは「劇団キンキン塾」の活動拠点となっており、現在のうつみ宮土理さんにとっては、このキンキン・シアターがわが子のようになっていることでしょう。

また、愛川欽也さんは

「カミさんは造園業の家の娘だから庭に芝生、

そして真ん中に花壇を作ってあげる」

引用元:https://www.1242.com

と言って、実際にうつみ宮土理さんのために素晴らしい庭を残してくれました。

今はその庭の手入れをして、美しい花々を咲かせることも、うつみ宮土理さんの生きがいとなっています。

そんなうつみ宮土理さんには、病気のうわさもありましたが、調べてみてもそのような情報は見つかりませんでした。

おそらく、愛川欽也さんが病気であったことや、看病、そして愛川欽也さんご逝去後の休養期間のために表舞台に立たなかったことから、そのような噂が流れたのでしょう。

傘寿を迎えた現在も、うつみ宮土理さんはとってもお元気のようですよ!

参照:https://www.news-postseven.com

ケロンパの愛称でお茶の間から親しまれ、生涯のパートナーである愛川欽也さんに愛情のすべてを注いだうつみ宮土理さん。

夫を亡くした悲しみを乗り越え、再び精力的に活動を始めている姿は、年を重ねた女性がいかに元気で明るく、そして自分らしく生きていくのか、そんなお手本になってくれそうですね!

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