パワフルなハイトーンボイスで、女性の心情をストレートに歌いあげ、数々のヒット曲を出した歌手・大黒摩季さん。彼女の歌が青春時代の象徴だったという女性も多いのではないでしょうか。
そんな大黒摩季さんが、11月5日放送の『徹子の部屋』に出演されます。
最近ではいろんな番組で見かける大黒摩季さんですが、「そういえば一時期見なかったな…」と思い、その頃の大黒摩季さんを中心に、調べてみることにしましたよ。
大黒摩季さんの経歴から、結婚や病気に関して、さらにご実家のことやお母様の介護まで、大黒摩季さんの知られざる一面を探ります。
大黒摩季のwiki風プロフィール!経歴は?
まずは、大黒摩季さんのwiki風プロフィールをご紹介しますね。
参照:https://www.sapporo-community-plaza.jp
・名前:大黒摩季(おおぐろ まき)
・生年月日:19691231
・出身地:北海道札幌市南区
・学歴:藤女子高等学校卒業
・血液型:A型
・所属事務所:ビーイング
大黒摩季さんは、高校卒業後に上京し1989年、19歳の時、現在の所属事務所であるビーイング主催のオーディションを受け見事合格。
ですがこの時、大黒摩季さんは大きな選択を迫られました。
この時ビーイングのプロヂューサーは、大黒摩季さんに対してこのようなことを言いました。
「お前みたいなちょっと歌の上手い奴はいくらでもいる。コーラスで練習する気があるんなら、ウチに来れば?」
実はこの時すでに、ソニーやビクターのオーディションにも合格していたうえに、それらの事務所には「すぐにデビューしよう」と言われてた大黒摩季さん。
ソニーやビクターは、とても大きなレーベルですし、普通はすぐにデビューできるところを選ぶと思うのですが、大黒摩季さんはあえて、下積みとして経験を積む道を選んだのです。
その時のことを大黒さんはインタビューで語っています。
好きだった訳じゃないし、人の後ろでなんか歌うものかと思っていたのに、音が聴けるし、練習にもなるからということで、苦汁の選択でコーラスをやりながら、デビューのチャンスを待っていたんです。
どうも、大黒摩季さんは大手レーベルが「すぐデビュー」というのにはビジネスの匂いしか感じず、それよりも、ビーイングの正直な物言いに心ひかれたらしいのです!
その後、1992年に「STOP MOTION」でデビュー。大黒摩季さん22歳の時でした。
この曲は残念ながらヒットにはつながりませんでした。
しかし、同年9月にリリースした「DA・KA・RA」に問い合わせが殺到!
自身初のミリオンセラーとなり、第34回日本レコード大賞新人賞受賞されたのです。
翌1993年には「チョット」、「別れましょう私から消えましょうあなたから」と出す曲出す曲次々とヒットし、12月にリリースした「あなただけ見つめてる」は、あの名作バスケット漫画「スラムダンク」のアニメの主題歌となり、再びミリオンセラーとなりました。
それからも大ヒットを連発した大黒摩季さん。
1994年の「夏が来る」、1995年の「ら・ら・ら」。そして1995年の「熱くなれ」はNHKのアトランタオリンピックのテーマソングに起用されるまでになったのです。
実はこの頃まで数年間、大黒摩季さんはメディアに顔出しを滅多にしていませんでした。もちろんそれは、大黒摩季さんが作詞作曲で忙しかったのと、「面白いから」との事務所の方針だったのですが、そのために、「大黒摩季は声、顔、作詞作曲と3人の担当がいる」とか「大黒摩季は実在せず、コンピューターで作られたものだ」などの都市伝説が、まことしやかに流れたりもしていました!
わたしもちょっと、それを信じていました(笑)なんとなく、顔が映っているような映像はあったのですが、あんなかっこよくって、歌がうまい人が、あんな美人な感じなわけない!なんて、ひねくれた見方をしていたんです(恥)。
その後も、精力的に歌手活動を続けられた大黒摩季さんですが、私生活では2003年に一歳年下の一般男性と結婚。
夫との間に子供を望んだ大黒さんでしたが、実は大黒さんは長年、婦人科系の症状に悩まされており、不妊治療を始めたのだそうです。
しかしうまくいかず、2010年~2017年までは、治療と妊活に専念するため、歌手を休業することとなりました。
2017年には芸能界に復帰され、名探偵コナンの主題歌でもある「Lie, Lie, Lie,」をリリースされています。
復帰されて以来大黒摩季さんは、数々の歌番組やバラエティにも出演し、元気な姿と、昔と変わらないパワフルな歌声を披露しています!
大黒摩季が病気…現在は?結婚離婚歴や元旦那は誰?
大黒摩季さんが、婦人科系の病気で悩まれていたと書きましたが、ここからは、大黒摩季さんの病気や結婚された男性とのことに関して、詳しく書いていきますね。
10代の頃から、思い生理痛に悩まされていた大黒摩季さん。
しかし、まだまだ若く、また22歳で大ヒット曲を出して、あっという間にスターダムにのし上がり、目の回るような忙しさであった大黒摩季さんは、自分の体と向き合うことなく過ごしてきてしまいました。
そして、27歳の頃、重い子宮疾患であることが発覚。
「1996年末に発覚し、だましだまし付き合って来ました子宮疾患がここに来てかなり進行し、集中して治療しなければかなりマズイと言うことで、その治療のためやむなく活動休止せざるをえない状況です」
このよう公式ブログで伝え、大黒摩季さんは2010年からの長期休養に入ったのです。
2003年に、交際1年で一般男性と結婚されていた大黒摩季さん。
お相手の方は一般の方のため、経歴等は分かりませんでしたが、ネットにある情報によると、
・九州出身
・IT会社勤務
・Jリーガーを目指していた?
などと言われています。
お二人が出会ったとき、その男性は大黒摩季さんをご存じなかったんだとか!
大黒摩季さんご本人は、ご主人のことを「音楽業界とはほど遠い世界に住み、飾り気ないスーツを着た王子様」と語っていたこともあります。
大黒摩季さんは彼との間に子供が欲しかったのですが、病気はかなり重く、治療が大黒摩季さんの体を痛めつけていました。
1996年に発覚した子宮疾患は、「子宮腺筋症」「左卵巣嚢腫」「子宮内膜症」「子宮筋腫」の4つを併発。約5年にわたってホルモン治療に取り組み、2度の手術を経験した。
このホルモン治療は、大黒摩季さんの武器でもあったハイトーンボイスを奪い、大黒摩季さんは絶望の淵に立たされたそうです。
ご主人とともに不妊治療に望み、2015年に卵子を凍結して支給を全摘出、2017年には代理出産にもチャレンジしましたが失敗。
結局ご主人とは2018年に離婚に合意。
しかし、離婚届けを出したのは2019年。これはいったい?
実は、離婚に合意されてすぐご主人には新しい出会いがあり、またお相手の女性に赤ちゃんができたのです。しかし、大黒摩季さんはそれに対し怒ったりすることなく、
「子供を授かったことを聞き、むしろ届けを出し受理されたらいずれメディアの皆様が気づくことにもなりますので、経験上最も不安定な妊娠時期にいらぬストレスをかけるべきではないと、出産後時期をみてということに致しました。そして早産ではありましたが無事子供も生まれ、彼の家庭も安定してきたので、2019年4月頃に離婚届けを提出、受理されました」
このように考え、元ご主人とお相手のために、離婚届けをあえてしばらく出さなかったというんです。
なんて、大きな女性なのでしょう!そんな人いる!?って思わず叫んでしまうほど、心の広い素敵な女性なんですね。
現在の大黒摩季さんは、愛猫たちと心穏やかに過ごされ、最近「おばあちゃんになった」と近況報告をされていました♪
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大黒摩季の実家(パン屋)の両親の介護は?
大黒摩季さんのご実家は、北海道でパン屋さんを営んでいます。
参照:https://ameblo.jp
家族構成は、父、母、大黒摩季さん、弟の4人家族で、以前は父親である大黒正芳さんが「札幌キムラヤ」という製パン会社を経営されていました。
札幌キムラヤとは、あの元祖あんぱんで有名な「木村屋総本店」からのれん分けをされたお店で、以前は非常に勢いのあるお店でしたので、大黒摩季さんはいわば「社長令嬢」だったのです!
しかし、お父様が 2000年に急死され、お店の勢いは失速。
大黒摩季さんの弟の大黒礼騎さんが跡を継がれましたが、経営はうまくいかず、2002年には民事再生法を申請するまでになってしまいました。
現在は、木村屋総本店が支援し、お店も量販店へ商品を卸すのを止めるなどして、事業を縮小。
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札幌キムラヤのパンを買えるのは、現在はこの「札幌キムラヤ直売所 ウサギのパン工房」のみとなっていますが、とっても人気のあるお店で、午前中に行ったらもう何もなかった!という声もあるくらいです。
参照:https://www.dailyshincho.jp
大黒摩季さんのお母様は大黒美也子さん。
実は美也子さんは、大黒摩季さんが入籍される入籍される2003年頃、脳出血で倒れてしまい、広範囲にわたって脳に損傷を折ってしまいました。
介護の必要な状態になってしまった美也子さんは、実家で弟さん夫婦が面倒を見られていましたが、その負担が限界となり、また、大黒摩季さんご自身が病気のため療養することになったことから、10年ほど前に、大黒摩季さんが美也子さんを引き取りました。
美也子さんは介護施設に入りましたが、慣れない環境で心を閉ざしてしまい、娘である大黒摩季さんにもつらく当たるようになってしまいました。
一時期は、大黒摩季さんは美也子さんとともに死んでしまいたいとまで思い詰められたそうです。
しかし7年前、藤原紀香さんがその状況を一変させてくれます。
「藤原紀香さんの写真展があって母と見に行ったのです。すると、紀香さん本人が母の前に跪(ひざまず)いて“ママ元気?”と自分の親のように尋ねてくれた。その時の母の表情が見たこともないような笑顔だったのです」
美也子さんにとって、自分は娘…。
そう思いだした大黒摩季さんは、介護している立場として美也子さんに「面倒見てやってる」と上から接するのではなく、時には娘として、お母さんに甘えたり頼ったりするようになったのです。
すると、美也子さんにも笑顔が戻ってきたんだそうですよ♪
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いつまでも、とってもカッコよくて変わらぬ歌声の大黒摩季さん。
いつも明るいはじけるような笑顔が印象的ですが、実は壮絶な日々を送ってこられたのですね。
しかしその苦しみこそが、今の、すべてをおおらかに包み込んでくれるような大黒摩季さんを作ったのかもしれません。
50代になり、新たなステージに立った大黒摩季さん。これからの活躍にも注目していきたいです。
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