辻口博啓(パティシエ)チョコの通販や店はどこ?実家や失踪の父・母も凄い!【徹子の部屋】

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1月24日の12時から放送される、テレビ朝日「徹子の部屋」にパティシエである辻口博啓さんが出演されます。
辻口博啓さんといえば、世界的パティシエで有名なんですが、意外と石田純一さんと仲がいいそうで、今回は徹子の部屋に石田純一さんとともに出演されます。
バレンタインデーも近くなってきたこの頃、辻口博啓さんの美味しいチョコが買える通販やお店、また、そんな辻口博啓さんを生んだルーツである実家や父親が凄かったのでまとめたいと思います。

辻口博啓(パティシエ)のwiki風プロフィール


出典:辻口 博啓Twitter

本名 辻口博啓(つじぐち ひろのぶ)
生年月日 1967年3月24日
出身地 石川県七尾市
血液型 A型
職業 パティシエ/ショコラティエ
出身校 石川県立中島高等学校 卒業

今や世界的に有名なパティシエである辻口博啓さんですが、若い頃からその頭角を現しています。
全国洋菓子技術コンクールでは、史上初の最年少である23歳で優勝されており、その後も国内の大会で優勝をかっさらっていったことから、コンクール荒らしとの異名も持っています。
どうしてそんなに優勝できたのかといえば、元々実家が「紅屋(べにや)」という和菓子屋さんだったからなんですよね。
しかし、辻口博啓さんは和菓子ではなく、現在パティシエとして活躍されています。

「友達の誕生会で初めて食べたショートケーキの味に衝撃を受けて、あまりのおいしさにお皿までなめる勢いで食べました。『世の中にこんなにおいしいものがあるんだ!』って。その感動が今でも舌に残っていて、僕を突き動かす原動力になっています。」

出典:子どもの夢応援企画第5回:パティシエ 辻口博啓さん

小学校三年生の時に食べたショートケーキが美味しすぎて、すでに小3でお菓子屋さんになると決めていたらしいです(笑)
子供に限らずですが、美味しいものは人を動かす原動力にもなりますよね!

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辻口博啓(パティシエ)のチョコの通販や店はどこ?

辻口博啓さんがオーナーとしてパティシエやショコラティエとして展開している店舗は13ブランドとたくさんあります。

モンサンクレール
自由が丘ロール屋
ル ショコラ ドゥ アッシュ
和楽紅屋
フェーヴ
北海道牛乳カステラ
キュイット
マリアージュ ドゥ ファリーヌ
コンフィチュール アッシュ
ル ミュゼ ドゥ アッシュ
フォルテシモ アッシュ
ショコラユニバース
SUPER SWEETS

その中でも辻口さんの想いに触れられるお店を挙げるならば、初めて立ち上げたお店である、モンサンクレールですね。


出典:モンサンクレール公式ページ

通販ページ:モンサンクレール オンラインショップ

そして、チョコを前面に扱ったショコラティエとしてのお店「ル ショコラ ドゥ アッシュ」


出典:ル ショコラ ドゥ アッシュ

通販サイト ル ショコラ ドゥ アッシュ

そして、実家の和菓子屋「紅屋」を想い立ち上げた和スイーツの専門店「和楽紅屋」


出典:和楽紅屋

通販サイト:和楽紅屋

抹茶トリュフとか、めちゃくちゃおいしそうなんですけど!

そうそう、1月23日からチョコレートの祭典といってもよいイベント、サロン・デュ・ショコラ日本が開催され、辻口さんももちろん参加されています。


出典:サロン・デュ・ショコラ日本

公式サイト:https://www.salon-du-chocolat.jp/

いやー行きたい!
凄いパティシエが集まりすぎて、これ、たぶんどれ買ってもハズレなしですよ!

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辻口博啓(パティシエ)の実家や失踪の父・母も凄い!

実家が「紅屋(べにや)」という和菓子屋だったという辻口博啓さん。
紅屋は、戦後に辻口さんのおじいさんが開いたお店だったそうです。

元々祖父は戦前からお菓子作りを学んでいて、戦時中にも軍に呼ばれて和菓子作りをする仕事をしていたぐらいだそうで、辻口さんまでパティシエの血が脈々と受け継がれているのが分かりますね。

老舗(しにせ)の「紅屋」は、市バスに乗ると「紅屋前」と放送されるほど有名だった。両親とも製造・販売・配達に朝から晩まで大忙し。博啓は祖父母と住み込みの従業員夫妻らに育てられた

出典:パティシエ・辻口博啓のお母さん

この様子からもお店は古くから大繁盛されていたことが分かりますね。
辻口博啓の母親である、品川八重子さんも「子供と遊ぶ暇は全くなかった」「朝早くから、お餅をつく機械で家中が揺れるほどの慌ただしさ」と話されています。

構ってもらえなかったことがとても寂しかったんでしょうか、辻口博啓さんの幼少期のエピソードとしてこんな話があります。

博啓が家の前に座って、棒で地面をたたきながら、「こんな家に、生まれな、よかった」と歌っているんです。幼稚園のころでしょうか。

出典:パティシエ・辻口博啓のお母さん

近所であったお祭りにいくことが出来ず、ふて腐れていたこともあったそうです。
お祭りでかき入れ時だし、子供の願いも聞いてあげたいし…親としてはとても心が痛いですよね。

しかし、そんな大繁盛だった紅屋は辻口博啓さんが18歳の時に倒産してしまいます。

父親が知人の借金の保証人になり、実家の和菓子店は家とともに銀行管理に。東京へ修業に出ていた十八歳の辻口さんは母親に呼び戻され、初任給が高い地元のかまぼこ店への就職を提案された

出典:パティシエ・辻口博啓さん

しかし、夢をあきらめたくなかった辻口博啓さんは「東京に出たい。3年で一人前になるから」と宣言し、アルバイトでためたお金で布団と切符を買って修業に出かけたそうです。

すごいバイタリティですよね。
世界に通用する技を身につけた原点は、ここにあるんじゃないでしょうか。

僕がここまで前を向いて進んでこられたのは、母親の存在が大きい。僕の祖父がつくった紅屋は、残念ながら僕が18歳のときに潰れてしまいました。そんな中、僕は家族の反対を押し切ってパティシエの道を選び、単身東京に出てきました。だからこそ「早く一人前になって、1日でも早く母親を楽にしてあげたい」「母親に僕が作ったお菓子を味わってもらいたい」

出典:辻口博啓プロフィール

お菓子と辻口博啓さんの縁の深さを感じますよね。
実は、このことが原因でしょうが、辻口博啓さんの父親は14年間ほど失踪されてしまったそうです。

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辻口博啓(パティシエ)さんが徹子の部屋に出演されます

そんな辻口博啓さんが俳優の石田純一さんと徹子の部屋に出演されます。
どうやら、石田純一さんと東尾理子さんのウェディングケーキを作ったのも辻口さんらしいですよ!

辻口さんも世界で活躍するパティシエとなり、海外に行ったりととても忙しくなされているはずですが、現在3人の子供の父親なとして、子供たちとどう接しているのか少し気になるところではありますね。

また、失踪した父親との再会エピソードも気になります。

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