山口百恵さんの衝撃的な自叙伝『蒼い時』の仕掛人、残間里江子さんが、2023年2月10日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演されます。
女性プロデューサーの先駆者と言われる残間里江子さん。
今回は、そんな残間里江子さんの経歴や病気のこと、現在のご様子、そして結婚やお子さんのことについて徹底調査していきますよ!
残間里江子の経歴やプロフィールは?
- 名前:残間里江子(ざんま りえこ)
- 生年月日:1950年3月12日
- 年齢:72歳(2023年2月現在)
- 出身地:宮城県仙台市
- 学歴:明治大学短期大学法律科卒
- 所属:キャンディッド・コミュニケーションズ
宮城県仙台市で生まれた残間里江子さん。
ご両親は国鉄労働組合の元青年部長と元婦人部長だったのだそうです。中学1年からは静岡県富士市で育ちました。
1970年に明治大学短期大学を卒業すると、静岡放送にアナウンサーとして入社した残間里江子さんは、ご自身曰く「失敗ばかりのダメ社員」だったのだそうです。
スポンサーの名前を言い間違えたり、料理番組でハンバーグをひっくり返して自分の足の甲に落として火傷したり、あの三島由紀夫が割腹自殺をした「三島事件」を伝えているニュースの最中に、放送中だとは思わずにニュースを読んでいる先輩に「だ~れだ?」と目隠しをしてしまったり…。
そのせいだったのかは分かりませんが、残間里江子さんは静岡放送をわずか2年2ヶ月で退社しています。
しかし、残間里江子さんのことは静岡放送では語り草になっているようで、新人研修では「あんなヤツでも仕事を続けていられるのだから、キミらも頑張れ!」なんて発破をかけているとかいないとか(笑)
1973年、光文社に入社し雑誌『女性自身』の編集部記者に。
1980年、企画制作会社「キャンディッド」(現「キャンディッド・コミュニケーションズ」)を設立し代表取締役社長に就任。
同年9月、山口百恵さんの自叙伝『蒼い時』をプロデュースし、一躍時の人となりました。
14歳でデビューし、その情人離れした歌声と表現力で日本中を虜にし、21歳で結婚してキッパリと芸能界を引退した伝説的歌姫、山口百恵さん。
そんな彼女の生い立ち、性、スキャンダル、苦悩、そして結婚などを赤裸々に語ったこの自叙伝は、日本中のファンに大きな衝撃を与えたのです。
実はこの自叙伝は、山口百恵さん自ら残間里江子さんに声を掛けたものでした。
婚約発表をしてから、数多くの出版社から自叙伝の出版依頼が殺到したという山口百恵さんでしたが、それらはゴーストライターが書くという内容だったのです。
自らの真実を自らの言葉で伝えたいという思いが強かった山口百恵さんは、残間里江子さんに「一緒に手伝ってほしい」と手紙を出したのです。
それまで、残間里江子さんと山口百恵さんには接点がなかったわけではありませんが、決して親しかったわけではありません。しかし、山口百恵さんが彼女を選んだ…何か、感じるものがあったのかもしれませんね。
1983年、雑誌『Free』の編集長に就任。
2001年には財務省の「財政制度審議会」の委員と、国土交通省の「社会資本制度審議会」の委員を担当します。
2002年、キャンディッド・コミュニケーションズ代表取締役会長に就任。
2004年、厚生労働省「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」総合プロデューサーを担当。
現在は、藤田観光株式会社を始め、株式会社IBJ、株式会社島精密製作所、株式会社ビーネックグループスの社外取締役も兼任されています。
残間里江子さんのプロデュース能力には政財界からも厚い信頼が寄せられていることが良く分かりますね!
残間里江子の病気の現状は?どんな人?
残間里江子さんは、非常に精力的に働いていらっしゃる一方で、実は幼少期から病気がちな人生を送ってこられました。
生後間もない頃から、百日咳、小児喘息、赤痢などにかかり、小学4年生の時には小児性関節リウマチにかかり心臓肥大を併発。
そこから心臓弁膜症になり高校2年生まで入退院を繰り返していました。
成人してからも胃潰瘍や十二指腸潰瘍など様々な病気を患っており、自らを「病気の問屋」と称するほど。
現在では、呼吸器内科、脳神経内科、消化器内科、膝専門の整形外科、手指専門の整形外科、耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科、眼科、そして肩専門の整形外科と10もの病院に定期的にかかり、病気と闘っておられるようです。
年齢的なものももちろんあるのでしょうが、もともと免疫力が低いお体なのかもしれませんね。
残間里江子さんのブログを拝見すると、ご自身の病気や体調に関しても詳しく書いておられました。
それに対して読者からは好意的な意見がある一方、「(体調不良などは)あまり書かない方がいい」「そんな大変な人にはついていきたくない」「嘘でもいいから元気だと言って」「私まで鬱になる」といった意見も寄せられています。
ですが残間里江子さんは、「この年になったら不調があるのは当たり前」と考え、病気と向き合いながら愚痴ったり笑い飛ばしたりしています。
参照:https://www.nikkan-gendai.com
公衆の面前に建つような仕事をされている人に中には、自分の病気を隠して元気な姿だけを見せたいと思う人も多いと思うのですが、年齢を重ね、病気をたくさん抱えていても、精力的に働いている姿を見せる残間里江子さんも、とっても素敵な生き方だなと感じますね♪
残間里江子は結婚した夫と離婚?子供の現在は?
残間里江子さんは、実は結婚・離婚歴があるのですが、詳しいことは公表されていませんでした。
静岡放送を退職し、雑誌『女性自身』の編集部で働いていたころに学生時代の部活仲間であった男性と結婚しています。
しかし、夫は別の女性と関係を持つように…。
残間里江子さんから離婚を切り出すも、夫は納得せず長期調停となりなかなか離婚できなかったのだそうです。
残間里江子さんはそのことで思い悩んだのでしょう。
ふと「他の男性と恋愛すれば夫は諦めてくれるかな」と思い、それを実行。
夫とは別の男性との間に子供を授かります。
幼いころから命にかかわるような病気をしてきた残間里江子さんにとって、妊娠は奇跡であり、産むことを決意するのは必然でした。
最終的には、残間里江子さんが全財産を夫に渡すことで離婚は成立、そして子供の父親とは結婚せず、39歳の時にシングルマザーとして男の子を産んでいます。
この時、残間里江子さんは、周囲に妊娠を隠し、人間ドックだと言って入院・出産をした後、わずか1週間で仕事に復帰したのだとか!強い女性ですね~。
残間里江子さんの息子さんは、残間里江子さんが39歳で出産されたということなので、現在33~34歳ほどで、お母様と同じ業界人だと言われてます。
検索してみると、2016年に光文社の監査役として「残間直巳」という名前がありました。
残間という苗字は珍しいですし、光文社と言えば残間里江子さんがかつて働いていた職場ですから、おそらく間違いないのではないでしょうか。
それにしても2016年ということは直巳さんはまだ20代!それで光文社の監査役とは…とっても優秀な方なのですね~。
参照:https://www.nikkan-gendai.com
女性プロデューサーの先駆けとして、様々な苦労を乗り越えながら一時代を築いた残間里江子さん。
ご自身の「終活」も進めていらっしゃるようですが、まだまだ彼女の活躍を見せていただきたいですね!
コメント