サヘル・ローズさんが12/14のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演されます。
人生の恩人である、母・ジャスミンさんと登場され、今までの事や生い立ちを話してくれるそうです。
壮絶なサヘルさんの人生、一体何があったんでしょうか?
サヘル・ローズさんのプロフィール
生年月日 1985年10月21日
出身国 イラン
出身校 東京都立園芸高校
出身校 東海大学 卒業
出身校 東京アニメーションカレッジ専門学校・声優学科声優アクターズコース 卒業
血液型 O型
職業 タレント/女優/モデル
愛称 さっちゃん
・話せる言語は、日本語、ペルシャ語、ダリー語、タジキ語である
・2008年3月に東京アニメーションカレッジの声優学科を卒業している
8歳の時に日本に移住されたというサヘルさん。生まれはイランで、11人兄弟の末っ子として生まれたそうですが、イラン・イラク戦争の空爆によって家族が皆、命を落としてしまい、4歳から孤児院で暮らしていた時期があったそうです。
そのため、誕生年や本名が分からず、現在の名前はや誕生年は後に付けられたものなんだそうです。
サヘルさんを救ったのは女子大生だった養母・ジャスミン
実は身分がとても高かったジャスミンさん。大学生のころボランティアの救助活動を行っていたそうですが、がれきの中からサヘルさんを見つけたのがジャスミンさんだったそうです。
出典:私も孤児だった–女優サヘル・ローズが訴える、「養子縁組1%」の日本の現実
あるとき孤児院にいるサヘルさんをお見舞いに行かれたことがあったそうです。
その時に「お母さん」と呼び慕ったことがきっかけで、その後ジャスミンさんはサヘルを引き取ることを決意されたそうです。
しかし、当時女学生が養子縁組をするための条件は、「養育に困らない所得」「配偶者を有する」「子供を産めない」の3つの条件があり、「子供を産めない」の条件を満たすため、自ら婦人科へ出向き不妊手術をされたそうで、女子大生でありながら、自分の身体を傷つけてまでサヘルさんを守ってあげたことは普通、到底できることじゃないですよね。凄すぎます。
その後、身分が高い実家からも孤児を養育することを「家柄に傷がつく」と猛反対され、経済援助を打ち切られてしまったそうです。
食べ物がなく自殺まで考えた…日本へ来日した理由は?
日本に来日したのはサヘルさんが8歳のころだったそうで、そのころのジャスミンさんのフィアンセであったイラン人男性を頼って日本に移住されたそうです。
しかし、程なくしてサヘルさんにフィアンセが虐待をするようになったとのことで、3人の生活は破たんしたそうです。また、一時期部屋が見つからず、土管の中で過ごすなど、ホームレス生活を余儀なくされることになったそうです。
「私は学校で給食があったのでまだマシだった。でも母は学費を捻出するために食事を切り詰めていた」
サヘルさんが中学のころ、いじめにあい、自殺まで考えたこともあったそうです。
ある日、学校を早退して、お母さんが家にいないうちに命を絶とうとしたんです。ところが、仕事で家にいないはずの母が家にいました。部屋の隅に座って泣いていたのです。
私はいじめで苦しんでいたけれど、母もそのころが一番生活に苦しんでいた時期でした。私たちは、どうかするとツナ缶1缶を2人で2日間もたせるような暮らしをしていましたから。
今まで弱音を吐かなかったジャスミンさんが「疲れた」と話したそうです。
若々しくて美しかった母が白髪まじりになり、荒れている手を見て恩返しをしたいとサヘルさんは思ったそうです。
出典:私も孤児だった–女優サヘル・ローズが訴える、「養子縁組1%」の日本の現実
それから、高校進学時に、東京都立園芸高校を志望した理由も「授業で栽培した野菜を家に持ち帰ることができるから」という理由で進学されたサヘルさん。
高校1年の夏。待ちに待った野菜を収穫する日がやってきた。学校の菜園で育てたナスの山を腕いっぱいに抱えて帰り、真っ先に母に向かって叫んだ。
強い日差しを浴びたナスが紫の艶やかな光を放っている。久しぶりのごちそうだった。母はいそいそと台所に立ち、採れたてのナスをまな板の上で切り始めた。そんなうれしそうな母の姿が今も忘れられない。
血は繋がっていなくても、お互いを支えあい思いあっている姿にとても強い絆を感じます。
コメント
・・・圧倒されました。
損得勘定と能書き垂れて生きてる自分との差に
言葉も有りません
壮絶な人生を送ってらしたんですね。人の事を考えられる私に、そして社会にならなきゃ・・・ですね。いじめも、いい加減に、無くなって欲しいと思いますし、色々、考えさせられました。
幸せになって欲しいと、思います。