マッスル北村の最後は餓死?伝説や名言が凄い!死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングとは?

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”伝説のボディビルダー”として、日本のボディビルダー界を牽引してきたマッスル北村さん。

日本人ボディビルダーの中では、前例がないほど筋肉で身体が大きくなってしまったが故に、ドーピング疑惑がかけられボディビルダー界から姿を消すことになった時は、大きな話題になりましたよね~。

そんなマッスル北村さんが亡くなったと聞いた時は衝撃的でしたが、死因が餓死だという噂が浮上した時にはさらに驚かされました!

マッスル北村さんは本当に餓死で亡くなってしまったのでしょうか?

そこで今回は、マッスル北村さんをピックアップしてみたいと思います!

マッスル北村さんのwiki風プロフィールをはじめ、過去の伝説や名言、死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングについて紹介していきますよ~。

マッスル北村さんの壮絶な人生をとくとご覧ください!

マッスル北村のwiki風プロフィール!

まずは、マッスル北村さんのことを知ってもらうために、wiki風プロフィールから見ていきましょう!

出典:https://ameblo.jp/toukatomosibi/entry-12533185246.html

  • 本名:北村 克己(きたむら かつみ)
  • 芸名:マッスル 北村
  • 生年月日:1960年10月6日
  • 年齢:39歳(2000年8月3日死去)
  • 出身地:東京都
  • 身長:173cm
  • 体重:115kg
  • 血液型:B型
  • 最終学歴:東京学芸大学教育学部付属高校卒業
  • 家族構成:両親(父親 母親) 妹
  • 職業:ボディビルダー タレント
  • 所属事務所:マッスル企画
  • 趣味:体を鍛えること

以上が、マッスル北村さんのwiki風プロフィールとなります。

プロフィールを見ていて改めて思ったのが、マッスル北村さんは39歳という若さで亡くなってしまったのだということですよね。

それでも、ボディビルダー界では知らない人はいないぐらい伝説の人として語り継がれていますし、多くの方がボディビルダーを思い浮かべた時に、最初に出てくるのはマッスル北村さんなのではないでしょうか?

マッスル北村さんのプロフィールの中で、1点意外だなと感じたのが”最終学歴”です。

プロフィールでは、最終学歴は東京学芸大学教育学部付属高校卒業となっていますが、マッスル北村さんは大学に進学したという学歴をお持ちです。

現役で防衛医科大学と早稲田大学理工学部に合格していたマッスル北村さんですが、なぜか大学に進学せず浪人人生を選択されています。

そして、2浪した結果東京大学理科Ⅱ類に見事合格し進学されたのですよね!

出典:https://takedajuku-lih.com/study/827

そこでマッスル北村さんはボディビルに出会うことになるのです。

ただ、ボディビルという世界にハマってしまったマッスル北村さんは、大学に行かなくなってしまい最終的には中退することに・・・。

中退した後、将来を見つめ直したマッスル北村さんは、”人の役に立ちたいから医者になろう!”と考え、一から勉強をし直し東京医科歯科大医学部に一発合格されているのです!

医者になるために東京医科歯科大医学部に入学したマッスル北村さんでしたが、結局”ボディビルを極めたい!”と思い、またもや大学を中退してしまうのですよね。

結局は、ボディビルダーというのがマッスル北村さんにとっては、天職だったということなのでしょう(笑)。

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マッスル北村の伝説や名言が凄い

出典:https://www.excite.co.jp/news/article/E1483667148076/

マッスル北村さんには数多くの伝説や名言があると言われています。

そして、その伝説や名言が凄いとの噂が・・・。

マッスル北村さんの伝説や名言とは、一体どんなモノがあるのでしょうか?

まず、彼の伝説から紹介していきたいと思います!

マッスル北村さんの有名な伝説と言えば・・・

  1. 自転車で200km走破への挑戦
  2. 急遽出場することになったアジア選手権

この二つがマッスル北村さんの有名な伝説となります。

1つ目の伝説となった”自転車で200km走破への挑戦”は、高校時代の伝説となるのですが、当時自転車にハマっていて競輪選手を目指していた彼は、競輪選手になるためのトレーニングとして、地図を見て自転車で200kmを走破するという計画を立てたのです。

地図上での推定直線距離で家から約200kmの目標地点を目指して・・・。

しかも、このトレーニングで”到着するまで休憩はしない”というルールを独自で設定したのですよね。

実際にトレーニングを開始してみると、目標地点まで標高差があるためアップダウンの峠があることはわかっていたものの、地図を見ていると簡単そうだと考えていたマッスル北村さんは、この峠に大苦戦することになります。

そのため、彼は16時間も自転車を漕ぎ続けたとのこと!

ただ、目標地点までもうすぐというところで、余りにも喉が渇き過ぎて命の危険を感じたため、仕方なく休憩し準備していた牛乳1パックを一気飲みしたそうなのです。

ですが、その牛乳は常温で16時間も経過したものだったため、彼が飲んだ時には完全に腐っていたようで、飲み終えてすぐに体に異変が起き、痛みのあまり道中で意識を失い倒れてしまったのですよね~。

幸い、倒れているマッスル北村さんを救助してくれた方がいて、彼が起きた時は病院のベッドだったそうです(笑)。

結果的には目標地点には辿り着けていませんが、十分伝説と言える挑戦ですよね!

2つ目の伝説が、1985年に急遽出場することになったアジア選手権での出来事です。

出典:https://amanojerk.hatenablog.com/entry/2014/10/13

マッスル北村さんは、8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権への出場オファーがかかったとのこと。

ただ、そのアジア選手権は4日後に開催される大会だったのです!

実業団選手権直後のマッスル北村さんの筋肉はすでに疲労していたため、このまま出場しても結果は知れていると考えた彼は、少し好きな物を食べて筋肉に張りを持たせようと食事を摂ったのですよね。

ですが、実業団選手権直後ということと好きな食べ物という要因が重なり、マッスル北村さんの食欲は止まらず、食べ続けた結果体重がわずか2日で85kgから98kgに増量してしまったのです!

このままではさすがにマズいと感じたマッスル北村さんは、電車を乗り継いで山奥まで移動しそこから自宅までの100kmマラソンに挑戦することに。

結果的には120kmの距離を15時間かけて走り切り、14kgの減量に成功したのです。

そして、アジア選手権ではライトヘビー級のタイトルを獲得したのです!

どちらの伝説もとてもマネできない伝説ですね(笑)。

また、マッスル北村さんには数々の名言があるのですが、ここでは印象的な名言を紹介致します。

出典:https://www.imishin.me/musclekitamura/

まず最初に紹介する名言がこちらです!

”1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。”

この名言は、今でも語り継がれている名言ではないでしょうか?

筋トレする際に、設定した回数にプラス1回やるというのはよく言われますからね!

ただ、1千回という数字が桁違いですけどね(笑)。

続いてはこちらの名言です!

”ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたいと願っていた。”

この名言は”人の役に立てる医者になりたい!”と考えていた、マッスル北村さんならではの名言と言えるのではないでしょうか?

ボディビルに一本に集中するために、医者になることは諦めてしまいましたが、ボディビルを通じて心の医者になりたいというのは、優しいマッスル北村さんを象徴している名言です!

最後の名言がこちらです!

”負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい”

伝説もそうですが、マッスル北村さんは数々の失敗を経験しています。

ただ、その失敗はその後の彼の糧となっているとのこと。

だからこそ、自分がやってみたいと思った事は、負けや失敗を恐れてやらないという選択肢は、マッスル北村さんにはなかったのでしょうね~。

伝説だけでなく、名言も凄いですよね!

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マッスル北村の最後は餓死?死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングとは?

出典:https://www.imishin.me/musclekitamura/

マッスル北村さんは、2000年8月3日に39歳という若さで亡くなっています。

当時、世界選手権に参加するべく20kgの急な減量を行っていたために、マッスル北村さんの最後は”餓死”なのではないか?との噂が・・・。

実際のところ、マッスル北村さんの死因は餓死だったのでしょうか?

まず、結論から言うとマッスル北村さんの死因は餓死ではなく、異常な低血糖状態から急性心不全を引き起こしたことが死因だと言われています。

そのため、マッスル北村さんの最後が餓死だったという噂は間違いということですね。

ただ、異常な低血糖状態ということから、死因は”事実上の飢死”と考えている方もいるようです。

ちなみに、マッスル北村さんが死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングとはどういったモノだったのでしょうか?

まず、減量トレーニングとして行われていたのは、炭水化物を限りなくゼロに近づけるカーボローディングという古典的なトレーニングだったと言われています。

マラソンのトレーニングとして、カーボローディングを取り入れている方の一般的なトレーニングはこんな感じです!

出典:https://runningclinic.jp/2936/

これを見る限りでは、それほど過酷な食事やトレーニングとは思えないでしょう。

ただ、古典的なトレーニングと言っても、マッスル北村さんは極限まで自分を追い込む過酷なトレーニングをする方なので、常軌を逸していたというのは想像できますよね~。

当時の食事について、マッスル北村さんの妹さんが公表していたのが、”めまいがしたら飴を一個でいいから舐めてほしい!”と懇願したら、”そんなわずかなカロリーすら摂取したくないんだ!”と断られたとのこと。

実は、マッスル北村さんは亡くなる数日前にも倒れて救急車で運ばれていたそうなのです!

その時は、処置が間に合ったため一命は取り留めたのですが・・・。

こんなことがあったので、彼のことを心配した妹さんが”飴一個でも・・・”と食事を摂ることを懇願したのですが、それすらも叶わなかったということなのですね。

飴一個は食事とは到底言えませんが、それすらも許さない過酷な食事やトレーニングを自分に課していたということなのでしょう。

亡くなった時のマッスル北村さんの体脂肪率は、なんと”3%”しかなかったとのことですから!

死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングは公開されていませんが、相当な追い込みをかけていたのでしょうね。

それを表すかのように、亡くなる数日前にマッスル北村さんは仕上がった肉体を披露していましたからね~。

過酷な食事やトレーニングによって亡くなってしまいましたが、マッスル北村さんの伝説や名言は、これからも多くのボディビルダーに語り継がれていくのでしょう!

マッスル北村さんを超えるようなボディビルダーが現れる日は来るのでしょうか?

コメント

  1. […] てる . 有名なところで、“東大ボディビルダー”「マッスル北村」の事例がある . 彼は結局、その過剰な努力による過度な減量により死亡したけどね https://next.saract.com/muscle-kitamura-5649 […]

  2. kn より:

    ローカーボダイエットじゃないの?
    カーボローディングは通常大会1週間前~直前に行うもの。
    あるいはカーボローディングの前準備として行うディプリートでは?