風吹ジュンはハーフ?若い頃の画像は?両親(父母)と生い立ちが凄かった…離婚理由や再婚した夫と子供の現在は?

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2023年3月9日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に女優の風吹ジュンさんが出演されます。

実は風吹ジュン、今の彼女からは想像もできないほど壮絶な人生を歩んでこられたそうなんです。

今回は、そんな風吹ジュンさんにスポットを当てていきますよ。

風吹ジュンの経歴やプロフィールは?ハーフ?若い頃の画像は?

参照:https://ourage.jp

  • 名前:風吹ジュン(ふぶき じゅん)
  • 本名:堀川麗子(ほりかわ れいこ)
  • 生年月日:1952年5月12日
  • 年齢:70歳
  • 出身地:富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)
  • 学歴:京都市立花山中学校卒
  • 身長:157cm
  • 体重:不明
  • 血液型:B型
  • 所属:パパドゥ

高校教師の父(結婚当時は京大生)と母の間に生まれた風吹ジュンさん。

11歳の時に両親が離婚し、3歳年上の兄と共に母に引き取られ3人での生活が始まりました。

決して豊かとはいえない生活でしたが、風吹ジュンさんは生来の明るい性格で乗り越えてこられました。

中学2年の時に、母親に「自分のことは自分で面倒を見なさい」と言われ、兄と二人で京都に移り住み、兄は働き、風吹ジュンさんは中学に通いながらの極貧生活を始めました。

風吹ジュンさんは当時から、周囲の同じ年頃の子たちに比べ身長が高く、大人っぽくて非常に目立つ美少女だったそうですよ♪

ちなみに、お顔立ちからハーフだとの噂もあるようですが、ご両親ともに外国人であるとの情報はありませんでしたので、生粋の日本人ではないかと思われます。

高校受験は家族の問題で受験を拒否。

京都でレストランの住み込みアルバイトなどをしながら暮らしていました。

18歳になると上京し、銀座の高級クラブ「大徳寺」でホステスとして働き始めます。

店ではナンバーワンを争うほどの人気でしたが、お酒が飲めなかった風吹ジュンさんは仕事があまり楽しくなかったとか(笑)

19歳の時にお客にスカウトされ、モデルの道へ。

1973年に「初代ユニチカマスコットガール」に選ばれ、イギリスの写真家デイヴィッド・ハミルトンがポスター写真を撮影したことで大きな話題になりました。

それまでヨーロッパ人しか撮らなかったハミルトンが初めて撮った日本人だったんです!彼のインスピレーションを刺激するほどの美貌だったのですね~。

1974年に『愛がはじまる時』で歌手デビューすると人気が爆発!

自他ともに認める「歌唱力の無さ」は当時から話題でしたが、ヴィジュアルの可愛さや一生懸命笑顔で歌うところとのギャップからか、男性からの人気は特に高かったようです。

しかしこの頃から風吹ジュンさんにはスキャンダルが付きまとうようになりました。

ホステスであったことを隠すために年齢や学歴を詐称して活動していたことがバレてしまったのです。

また、1974年から2度にわたる事務所移籍に暴力団が関与していたことから、なんと誘拐・監禁事件に巻き込まれたのです!

最初に所属していた事務所の待遇に不満があった風吹ジュンさんが、別の事務所に移籍しようとするのですが、それをよく思わない人間が、反社の人間を使って風吹ジュンさんを誘拐・監禁して「考え直せ」と迫ったのです。

監禁は数時間で終わり、怪我もなく終わったのですが、この時のトラブルと年齢・学歴詐称によって風吹ジュンさんの「清純派」としてのイメージはガタ落ち。

しかしこのことをきっかけに、風吹ジュンさんは自分を偽ることなく自分らしく堂々を活動していくことを決意!

1979年の映画『蘇る金狼』では主演の松田優作さんとの濃厚なラブシーンを体当たりで演じ、大きな話題に。

女優としての新たな道を切り開いたのです。

1992年には映画『無能の人』では日本アカデミー賞助演女優賞を受賞されるなど、確固たる地位を確立されていますね♪

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風吹ジュンの両親(父母)と生い立ちが凄かった…

参照:https://mainichikirei.jp

先にもご紹介しましたが、風吹ジュンさんが11歳の時に離婚されています。

理由は、父親が愛人を作ったことでした。

兄と共に母親に引き取られた風吹ジュンさん。

日々、母から父への恨み言を聞くたびに「自分は他人の悪口を言わないようにしよう」と思っていたのだとか。

女手一つで子供たちを育てていた母のため、家事をよく手伝っていた風吹ジュンさんでしたが、中学2年になると母から「自分のことは自分で面倒見なさい」と、育児放棄をされてしまいます。

兄と共に京都へ移り住み、極貧生活を始めた風吹ジュンさんでしたが、高校進学への意欲はあり、中学の先生の家で勉強をして志望校の1次試験を突破しました。

しかし、その後の2次試験は受けずに高校進学を諦めたとのことですが、この理由には諸説あります。

ひとつは、2次試験の前に母親の再婚を知り、それに対する反発心から受験を放棄したというもの。

もうひとつは、母親から高校進学を拒否されたというものです。

どちらにしても、母親によって高校進学を阻まれたということには間違いないようですね。

その後はアルバイト生活をし、上京後は水商売という大変な人生だった風吹ジュンさんですが、父親とは別れてから50年以上たってから親戚の勧めで再会しました。

参照:https://style.nikkei.com

父は病気の後遺症であまり話せなかったそうですが、一昨年96歳で亡くなった後からようやく許せるようになったそうです。

一方、母親との生活に関しては詳しい情報がなかったのですが、風吹ジュンさんが介護をしており、仕事で最期を看取ることはできなかったものの、湯かん(ご遺体をお風呂に入れて洗い清めること)をしてあげたのだそうです。

育児放棄をされ、高校進学もできなかったことで恨んでいてもおかしくないですが、そういった心の中のわだかまりを、介護をすることで自分なりに融かしていこうとされたのかもしれませんね。

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風吹ジュンの離婚理由や再婚した夫と子供の現在は?

参照:https://www.musicman.co.jp

風吹ジュンさんは、1981年に川添象郎(かわぞえしょうろう)さんと結婚されており、1984年に長女を、1986年に長男を出産されていますが、1992年に離婚しています。

元夫の川添象郎さんは元華族の家柄で、父は芸能人や著名人御用達のイタリアンレストラン「キャンティ」の創業者、母はピアニストの原智恵子さんです。

自身は音楽プロデューサーとして名を馳せた方で、YMOや荒井由実、尾崎豊、青山テルマなど、数々の有名アーティストをプロデュースしています。

しかしプライベートはかなり自由奔放な方で、風吹ジュンさんとの結婚は川添象郎さんにとって3度目の結婚でした。その結婚も、川添さんのモラハラや浮気により破綻。

風吹ジュンさんは、お子さんたちをシングルマザーで育てたのです。

娘の安李子さんは現在、アメリカ国籍の男性と結婚しアメリカ在住で、お子さんは少なくともお二人。

息子の智史(とものり)さんは一般企業に就職し、こちらも結婚されてお子さんもいらっしゃるようです。

長女と長男のどちらに何人のお子さんがいらっしゃるのか詳細は分かりませんでしたが、現在風吹ジュンさんには4人のお孫さんがいて、「20代の頃には戻りたいとは思わない」というほどお幸せなんだそうです♪

川添象郎さんと離婚後、風吹ジュンさんは再婚はされていませんが、何歳か年下の男性と長年お付き合いをされています。

穏やかで温かい関係を築いておられ、もしかしたら今が風吹ジュンさんにとって幸せの絶頂なのかもしれませんね!

参照:https://drama.fandom.com

壮絶な幼少期を過ごし、決して幸せとは言えない結婚生活を乗り越えてこられた風吹ジュンさん。

だからこそ彼女の笑顔はすべてを包み込んでくれるような優しさにあふれているのかもしれませんね♪

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