伊藤智仁の今や嫁・娘の現在は?野村克也が土下座した理由や伝説は?

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元ヤクルトスワローズのエースとして、150キロを超えるストレートと高速スライダーを武器に活躍された伊藤智仁さん。

ただ、怪我に苦しんだ投手だったために”悲運のエース”などと呼ばれることも・・・。

当時の監督だった野村克也さんが、”プロ野球史上最高の投手”と評価したほどの伊藤智仁さんとはどんな方なのでしょうか?

そこで今回は、伊藤智仁さんをピックアップしてみたいと思います!

伊藤智仁さんのwiki風プロフィールをはじめ、今現在の仕事や嫁や娘について、さらに野村克也さんが土下座したと言われている理由について調べていきますよ~。

最後には、伊藤智仁さんの選手時代の伝説にも迫ってみましょう!

伊藤智仁のwiki風プロフィール

まずは、伊藤智仁さんのことを知ってもらうために、wiki風プロフィールから紹介していきます!

出典:https://toyokeizai.net/articles/-/200530

  • 本名:伊藤 智仁(いとう ともひと)
  • 生年月日:1970年10月30日
  • 年齢:49歳(2020年1月現在)
  • 出身地:京都府京都市中京区
  • 身長:183cm
  • 体重:76kg
  • 血液型:O型
  • 最終学歴:花園高校卒業
  • 家族構成:嫁(泉さん) 長女 長男
  • 職業:元プロ野球選手 投手コーチ
  • 趣味:ジョギング

以上が、伊藤智仁さんのwiki風プロフィールとなります。

あの名将・野村克也さんに、プロ野球史上最高の投手と呼ばせるほどの伊藤智仁さんだけに、高校時代から凄い活躍をされてきたのかと思いきや、実はそれほど目立った成績を残すことができず、高校卒業後にプロ入りしているわけではないのですよね。

伊藤智仁さんは花園高校卒業後、地元京都にある三菱自動車京都に入社され、1991年から2年連続で都市対抗野球に出場。

出典:https://mainichi.jp/ama-baseball/articles/20160714/ddm/035/050/153000c

そこでの活躍が認められ、1992年のバルセロナオリンピックの日本代表に選出され活躍されたのです!

そして、その年のドラフト会議で、ヤクルト、広島、オリックスから1位指名され、ヤクルトが交渉権を獲得し入団に至ったとのことなのですね~。

伊藤智仁さんに対してエリートのイメージがあっただけに、意外な経歴には驚きました!

それでも、プロ入り後の伊藤智仁さんの投球には、多くのプロ野球ファンが驚愕したことでしょう。

それだけに、怪我の影響で長い期間活躍出来なかったことには、本当に悔やまれる気持ちですね!

 

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伊藤智仁の今や嫁・娘の現在は?

出典:https://media.alpen-group.jp/media/detail/baseball_190213_01.html

伊藤智仁さんは2004年に現役を引退し、その後はヤクルトで投手コーチを務めていました。

最初は二軍投手コーチを任され、その後一軍投手コーチへと昇格し、ヤクルトの投手陣の育成に長年尽力をつくされてきました。

そして、2017年にヤクルトの投手コーチを辞めることとなり、約25年間お世話になったヤクルトを退団することに。

その後、2018年からは独立リーグの「富山GRNサンダーバーズ」の監督に就任!

ただ、監督生活はわずか一年で終え、2019年シーズンからは「東北楽天イーグルス」の一軍投手チーフコーチとして入団します。

出典:https://bunshun.jp/articles/-/12163

そして今現在も、楽天で投手コーチをされています!

そんな伊藤智仁さんには、泉さんという嫁と大学生となる娘、年齢はわかりませんが野球を始めたという息子がいます。

嫁や娘、息子は一般人のため、画像や情報などは一切出回っていません。

ただ、ヤクルトファンの中には目撃したことがあるということもいるのではないでしょうか?

彼がヤクルトを退団するとなった2017年には、当時監督だった真中さんも監督退任が決定していて、本拠地最終戦では退任のセレモニーが開催されました。

そこで、真中さんとともに伊藤智仁さんも神宮球場で胴上げしてもらったのですよね~!

その姿を嫁の泉さんはもちろん、当時高校生だった娘も見に来ていたとのことなのです。

野球を始めたばかりの息子は、山田哲人選手のレプリカユニフォームを着て興奮していたとのこと。

嫁や娘、息子に最後のユニフォーム姿を見てもらうことができ、伊藤智仁さんとしては幸せだったのではないでしょうか?

現在は、見慣れたヤクルトのユニフォームではなく、東北楽天のユニフォームには変わってしまいましたが、伊藤家の現在の関係は以前と変わらないのでしょうね!

野球ファンとして楽しみなのは、息子がこのまま野球を続けてくれたら、どんな野球選手になるのかですよね~。

伊藤智仁さんのような素晴らしい投手になってくれたら嬉しいです!

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伊藤智仁に野村克也が土下座した理由とは?

出典:https://tsutomu-switch.hatenadiary.jp/entry/2013/12/15/234651

伊藤智仁さんの選手時代は、名将・野村克也さんが監督を務めていました。

1992年のドラフト会議では、首脳陣が松井秀喜さんを1位指名する予定だったものを、野村克也さんが伊藤智仁さんを選ぶと譲らず、スカウト陣と言い合いの末、伊藤智仁選手を獲得したという話しがあります。

それほど、野村克也さんは伊藤智仁さんの才能を高く評価していたのです!

ただ、そんな野村克也さんが伊藤智仁さんに土下座をしたという噂が取り上げられていました。

野村克也さんが謝罪するなんて、どんな理由があったのか気になりますよね?

実際のところ、野村克也さんは土下座はしていないものの、それに近い想いや責任を背負っていたのは事実だったとのこと。

その謝罪の理由に関しては、2018年1月3日に放送された「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人 大追跡」で、野村克也さんが伊藤智仁さんに謝罪するという企画で判明したのです。

野村克也さんは、伊藤智仁さんの才能を見極めルーキーイヤーから積極的に先発で起用。

出典:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/01/03/kiji/

それに応えるかのように、伊藤智仁さんもルーキーらしからぬ見事な活躍を見せていたのです!

ただ、シーズン中盤に肘に違和感を感じたのですが、ルーキーということもあり信頼を勝ち取るために、伊藤智仁さんは投げ続けていたのですよね。

当時は先発投手が完投するのが当たり前の時代だったため、現在の先発投手よりは1,5倍ほどの球数を投げていたとのこと。

その影響が肘に出てしまったのですが、野村克也さんはそのまま彼を使い続けてしまったのです!


その結果、腕に力が入らなくなり最終的には”血行障害”だと診断されたのですよね。

手術とリハビリの末、1997年に「カムバック賞」を受賞するほどの復活を遂げましたが、その後も再手術やリハビリの日々を送ることに。

最速150キロを誇っていたストレートは、引退時の2003年には109キロまで減速してしまっていたのです!

そんな伊藤智仁さんの肘の怪我について、”自分が使い過ぎた”と野村克也さんは責任を感じ、謝罪をしたということだったのです。

出典:https://yuruyurusports.xyz/2018/01/04/ito-3/

”俺以外の監督の下なら、記録は絶対に残しているよ。俺が邪魔したみたいだ、申し訳ない”と野村克也さんは謝罪していました。

あの野村克也さんがそこまで責任を感じていたというのは、野球ファンにとっても非常に驚きの出来事だったのではないでしょうか?

ただ、謝罪の理由を聞いた伊藤智仁さんは、野村克也さんに対して”何とも思っていませんよ!”と答えていました。

伊藤智仁さんは自分の責任だと言い、先発として最後まで投げるのが使命だと思っていたし、あそこで代えられていたら嫌だったと話していました。

25年の時を経て語られた二人の想いに、野球ファンだけでなく多くの視聴者が感動させられたのではないでしょうか?

 

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伊藤智仁の伝説が凄い!

出典:https://2020.yahoo.co.jp/olympicchannel/video/player/1521094

伊藤智仁さんには、野球界で伝説となっているギネス世界記録を残しています。

1992年に開催されたバルセロオリンピックで、スペイン戦(7回で降板)、イタリア戦(8回で降板)、そして3位決定戦のアメリカ戦(3回で降板)と3試合に登板し、合計で27奪三振を記録!

1大会で27奪三振の記録というのは、ギネス世界記録だったのです。

当時は、まだプロ入り前だっただけに、この伝説的な記録が野球界に伊藤智仁さんの名前を轟かせたと言っても過言ではないでしょうね~。

実際に同年のドラフト会議で3球団から1位指名されてますから!

また、プロ入り後は150キロのストレートと高速スライダーを武器に、前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91という、新人投手としては驚異的な成績を残しています。

6月9日の巨人戦では、8回まで無失点に抑えた上に、当時のリーグタイ記録となる16奪三振をマーク。

9回裏のツーアウトからサヨナラホームランを打たれ、試合は負けてしまいましたが、伝説の試合として今でも語り継がれていますよね~。

負け試合で1試合16奪三振というのは、伊藤智仁さんが初めてだったようです!

後半戦の途中から離脱してしまったものの、新人王を受賞したというのが彼の凄さを物語っているのではないでしょうか?

ただ、その後は伝説となるような記録は残せていません!

ですが、野球ファンにとってはインパクトの残る投手だったために、”記録よりも記憶に残る投手”として愛されていましたね~。

現在は楽天の投手コーチとして野球に携わっているため、伊藤智仁さんのような伝説を残せる投手を育ててもらいたいです!

2020年シーズンは、楽天の投手陣に期待して見て下さいね~。

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