「建設業界のジャンヌ・ダルク」。そんな異名を持つ女性が、今、圧倒的男性社会である建設業界を騒がせています。
それが、10月5日放送の『セブンルール』に出演される籠田淳子さんです。
女性技術者の割合がわずか4.5%という建設業界で、社員数8人中7人が女性という『有限会社ゼムケンサービス』の代表を務める籠田淳子さんとはいったいどんな女性なのでしょうか?
経歴や年収、出身校から、旦那さんやお子様、そして彼女を育てたご両親といった、籠田淳子さんの素顔が垣間見えるようなことまで、いろんな方面から調査してみたいと思います!
籠田淳子(ゼムケン)のwiki風プロフィール!経歴や年収は?出身校は?
まずは、籠田淳子さんプロフィールをwiki風にまとめてみました!
・名前:籠田淳子(こもりた じゅんこ)
・生年月日:1966年
・出身地:福岡県北九州市
・結婚:既婚(死別)
・学歴:滋賀県立短期大学(現・滋賀県立大学)工学部建築学科
籠田淳子さんは、大工さんであるお父様・櫨本(はぜもと)春夫さんが経営者を、お母様・櫨本喜代子さんが代表取締役をつとめる『ハゼモト建設』で、働く両親の背中を見て、職人さんたちと触れ合いながら育ちました。
籠田淳子さん自身も建設の道に興味を持ち、滋賀県立短期大学工学部建設学科に進学。2級建築士の資格を取得し、建設会社に就職されました。
その後、「もっと自由な設計がしたい!」と単身ヨーロッパ留学。帰国後に一級建築士の資格を取得すると、お父様から「手伝ってほしい」との申し出があり、1993年にハゼモト建設に就職されたのです。
1999年にお父様が他界され、2000年に『ゼムケンサービス』代表取締役に就任。
籠田淳子さんが新たに社員を採用する際に募集をかけると、たくさんの女性の応募があったそうなのですが、多くの女性が、子育てなどの理由で夕方4時など早い時間までしか働けないと言ったそうです。
最初は「甘いな」とあきれていたそうなのですが、「それなら、1人でやる仕事を2人でやってもらえばよいのではないか?」と考えたのです。
最近よく言われるようになった「ワークシェアリング」の考え方ですよね!そんな考えがまだ、世間になかったころに、籠田淳子さんはすでに始めていたんですね~。先見の明ってやつです!
2006年ごろから女性技術者のワークシェアリング制度を導入。時間の制約がある女性が、できない部分をみんなで補い合って仕事をできるようにしたり、産休後には在宅ワークで子育てと両立できるようにしたりと、女性が活躍できるよう、様々な取り組みをしてきました。
その結果、現在では社員数8人のうち7人が女性。日本全国では女性技術者4.5%の世界で、ゼムケンでは驚異の87.5%!
その女性力を活かし、ゼムケンでは「五感設計」を売りにしています。
例えば、とある洋菓子店の設計を依頼された際には、単にかわいい店舗をデザインするだけでなく、焼き立てのお菓子の香りが店内に漂うような喚起設計にしたり、店内の色合いにそのお店の目玉商品のイメージカラーを取り入れたりすることで、多くのお客様に支持されるお店ができたんだそうです。
参照:https://project.nikkeibp.co.jp
女性ならではの目線や細やかな配慮、活発なコミュニケーション力を最大限に活かし、ゼムケンサービスは建設業界に新しい風を吹き込んだのですね!
その功績が認められ、籠田淳子さんは、2015年に第一回内閣府「女性が輝く先進企業表彰」特命担当大臣表彰を受賞受賞されています。
男女共同参画社会基本法(1999年)が施行されて22年。まだまだ日本では進まない男女平等。もしかしたら、女性の力の活かし方そのものを、私たち自身が分かっていないことが原因かもしれません。
その中にあって籠田淳子さんは、どのようにすれば女性が活躍できるのを示してくれています。男性と全く同じことができることが平等ではない。人それぞれの能力が生かせるステージを、活かせる形で作ってあげることが大事なのだと…。
ここでちょっと生々しい話で申し訳ないのですが(笑)このようにな会社を経営されている籠田淳子さんの年収が気になってしまいました…が、いろいろ調べてみても、分かりませんでした。
ただ、ゼムケンサービスの資本金が2000万円なのですが、資本金2000万円の工務店社長の年収の平均が605万円というデータがありました。
また、中小企業役員の平均年収が600~800万円というデータもありましたので、籠田淳子さんの年収もこれくらいだと推測されます。
ゼムケンサービスの社員全員が、年収は300万円を超えていて、今後2倍3倍に増やしてくことが目標だそうなので、籠田淳子さんの年収も、今後もっと増えていくことと思われます♪
籠田淳子の夫や子供との生活は?
ゼムケンの社長として、バリバリ働いていらっしゃる籠田淳子さんですが、私生活はどんな感じなのでしょうか。
参照:https://project.nikkeibp.co.jp
調べてみると、ご結婚されていましたが死別、今は息子さんとお二人の生活ということ以外、具体的なことは分かりませんでした。
でも、いくつかエピソードを発見しましたのでご紹介します。
・お父様が他界後すぐに出産、お子さんが3か月の時に代表取締役に就任
・ご主人は庭師で子守が上手。主夫として家庭を支えてくれた
・お母様が2009年に他界、その3回忌の時にご主人の末期がんが発覚し他界
これらのことから、籠田淳子さんは庭師のご主人と結婚、1999年後半に出産、ご主人は2011年頃に他界されたと推測されます。息子さんはまだ10歳くらいのことでした。まだまだ、幼かった息子さんを抱えて、夫も両親も失った中で、社長として会社を切り盛りされるのは本当に大変なことだったでしょう。
そんな息子さんとのことを話しているインタビューがありました。
愛犬のトイプードルを息子さんと一緒に散歩させる時が一日の中で一番好きな時間だと話す籠田さん。毎晩30分から40分は歩くそう。この時間は貴重な親子の会話の時間。
日々、あちこち飛び回ってお仕事をされている籠田淳子さんですが、だからこそ息子さんとの時間をとても大切に思っていらっしゃるのが伝わりますね。
籠田淳子の両親(父母)はどんな人?
建設業界のジャンヌ・ダルクとも呼ばれる女性・籠田淳子さんはいったいどんなご両親のもとで育てられたのでしょうか。
先にもご紹介しましたが、お父様の春夫さんはハゼモト建設の創立者であり社長、お母様の喜代子さんは同社の代表取締役として、朝から晩まで馬車馬のように働いていたそうです。
籠田淳子さんが建設の道を志したとき、ご両親それぞれの反応は以下のようなものでした。
大学受験で建築学科を志望すると父親は「女が建築なんかやってどうする。電話番かお茶くみしかできん」と猛反対。母親が「今からは手に職をもつ時代だから」ととりなし、滋賀県立短期大学(当時)の建築学科へ進学した。
籠田淳子さんが進路を決めたころは、まだまだ女性が建設業界だなんて厳しすぎて無理だと思われていた時代ですもんね。しかも、お父様は九州男児ですから。
お父様は1999年に、お母様は2009年に他界されていますので、若くして会社を継いでからは様々な困難があったと思われます。
しかし、だからこそ籠田淳子さんは、社員が共にサポートしあいながら、仕事も家庭も、そして自分自身をも大切に生きていくことができる会社作りをされているのかもしれませんね!
籠田淳子さんが建設業界に送り込んだ新しい風は、きっとこれからの日本に広がって、私たちの社会を新たなステージに押し上げてくれることでしょう。
建設業界のジャンヌ・ダルク、籠田淳子さんの快進撃に今後も期待していきたいものです。
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